時候は、「夏至」を迎えました。
夏に、至る日。
春分、秋分、冬至とならんで、一年のなかの一つの区切りといえます。
一年のなかで、最も昼間の時間が長く、夜が短い日となります。
もちろん、それは私が住んでいる北半球の話です。
もしオーストラリアでこの記事を読まれている方がいらっしゃったら、その逆で、昼が最も短く、夜が長い日になります。
そう考えると、なんだか不思議なものですよね。
七十二候では、「乃東枯(なつかれくさかるる)」。
ウツボグサが、「夏枯草(夏に枯れる草)」の別名の通り、枯れゆく時期です。
このウツボグサも不思議な草で、冬至のころに芽吹き、そしてこの夏至のころに枯れるといわれます。
気温も上がり、生命力が満ちあふれれていく、この時期に枯れていく。
そんなウツボグサの名がついた、美しい時候であり、私も大好きな時候の名前の一つです。
さて、「夏至」というのは、ある意味での頂点といえます。
この点を過ぎると、少しずつ少しずつ、昼間の時間が短くなっていきます。
反対の極である「冬至」を迎えるまで、それは続きます。
目に見える季節は、
「まだまだ梅雨入りもしていないし、これから暑い夏がやってくる…」
と、そんな風に見えるのですが。
それとは異なるところで、季節は動いているようです。
意識は「まだまだ、これから」と思っていても、実際には、もうピークは過ぎてしまっている。
そんなことは、季節の中だけでもないように感じます。
問題が顕在化するまでにはタイムラグがある、という見方もできるでしょうし。
いろんな取り組みが、目に見える形になるのには、ある程度の時間がかかる、という見方もできるのでしょう。
そうえいば最近、歌手のASKAさんの「太陽と埃の中で」という曲を、またよく聴いています。
今日も、朝から聴いていました笑
リリースされたのが1991年ですから、私が小学生のころの歌でしょうか。
ASKAさんも歳を重ねて、歌い方やアレンジが変わったのですが、それがまたいいんですよね。
私も歳をとったからでしょうか笑
その「太陽と埃の中で」のなかのサビで、
追い駆けて 追い駆けても
つかめない ものばかりさ
愛して 愛しても
近づく程 見えない
という歌詞があるんですよね。
なんか、今日の「夏至」のテーマに似ているな、と。
追い駆けても、つかめない。
でも、その追い駆けているときが、実は頂点にいるのかもしれません。
つかめていないようで、つかめている。
見えていないようで、近づいている。
なんだか、禅問答のようになってしまいますね笑
それはともかくとして。
じめじめしたり梅雨だったり、暑い時期がやってくるようです。
どうか、ゆるくゆるく、ご自愛くださいませ。