今年も最後の一日になりました。
近所の神社も、迎春体制万全、といったところです。
門松を立てて、鏡餅を飾って、注連縄を新しくして。
街の空気も、この年末は特別感がありますよね。
それまでの気ぜわしさが、どこか抜けて、新年の空気を少し感じながら。
毎年変わらない風景ですが、また今年も新しい年を迎えることができるのは、ありがたいことだと思います。
年々、歳を重ねるごとに、それが身に沁みて感じられるようになってきました。
単に、歳を取ったということでしょうか笑
私の子供のころのお正月というと、まだ3が日はどこも営業していなかったように思います。
いつものお店はシャッタが―閉まり、道行く車も少なく。
どこか、異世界に迷い込んだような感覚を、覚えています。
それでいて、大人たちは「新年あけましておめでとうございます」と言って、何かを祝っている。
大晦日も、元旦も。
何も変わらない一日なのに、何がめでたいんだろう?と、小さな私は不思議に感じたものです。
たしかに、12月31日も、2024年も、人がつくった区切りではあります。
12月31日の日の出も、1月1日の日の出も、何も変わらない。
そこに何かの価値を乗せているのは、私たちのつくった区切りであり、ある意味で虚構なのかもしれません。
けれども、歳を重ねるほどに。
その区切りを迎えられることが、当たり前ではないことに気づきます。
「新年を迎える」ことが、いかに普通ではないことか。
生きていれば、いろんなことが起こります。
いろんなできごとに、出くわします。
思うままになること、思うようにはならぬこと。
人との関係のこと、お金のこと、あるいは、病のこと。
そのような中で、区切りを迎え、新しい年を迎えることができるのは、当たり前でも何でもないように思います。
「当たり前」の反対は、「ありがとう」といわれます。
「ありがとう」は、「有難う」。
なかなかないこと、なんですよね。
2024年の今年を過ごせたことに、まずは感謝したいと思います。
今年も一年間、こうして無事にブログを書くことができました。
そして、カウンセリングを続けることができました。
ブログにお越しいただきましたあなたさま、カウンセリングのご縁をいただきましたあなたさまに、深く感謝申しあげます。
ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。