自分がダメだと思っている、自分を責めていること。
それはもしかしたら、世界中のなかで、自分だけが責めているのかもしれません。
1.世界で一番厳しい人
昨日の記事では、それでも、あなたは愛される、というテーマでお伝えしました。
もとは、自立的な人が持ってしまう「罪悪感」からのお話でした。
自立的な人ほど、「罪悪感」を感じやすくなります。
反対に、依存的な人は「無力感」を感じやすく、それゆえに自立と依存はぴったりと癒着してしまったりしますよね。
その「罪悪感」ですが、自分は罪深い人間であり、常に自分は罰せられない、責められないといけない、と感じさせてきます。
けれど、よく言われることですが、世界で一番厳しい人は、自分自身です。
他の誰も気にしていないようなできごとを、まるで巨大犯罪であるかのように扱い、自分を責めるネタにしてしまうのが、「罪悪感」だったりします。
まして、「自立」的な人は、周りからの好意や愛を受けとることが苦手ですから、なおさら「自分は責められるべきだ」と感じるものです。
けれども、どんなに自分を責めたくなったとしても、自分を責めるにはあたらない、というのが昨日のテーマでした。
どんなに自分が至らないと感じても。
どんなに自分を責めたくなったとしても。
それでも、世界から愛される。
そこに理由なんて、ないんですよね。
そんなことを、昨日の記事ではお伝えしました。
2.罪悪感との付き合い方
「罪悪感」については、もう何度も扱ってきました。
「すべての問題の陰に、罪悪感あり」
といわれるほど、私たちに与える影響が大きかったりするのが「罪悪感」です。
誰かを傷つけてしまった、という罪悪感。
助けられなかった、何もしなかった、という罪悪感。
自分だけ恵まれている、という罪悪感。
そのほかにも、実にさまざまな場面で、私たちは「罪悪感」を持ってしまうものです。
それゆえ、「罪悪感をすべてなくそう」と考えるのは、結構無理があり、またおすすめもしません。
「罪悪感」は、それを「なくす」よりも、「うまくつきあっていく」と考えた方が、いいものです。
腰痛や頭痛といったように、それも自分の一部として、付き合っていくような、そんなイメージです。
そもそも論として、なぜ私たちが「罪悪感」を抱くかといえば、その相手が大切だからであり、そこに自分の愛があるからこそなわけです。
愛ゆえに、人は「罪悪感」を抱く。
そう考えると、「罪悪感」はやはりなくすよりも、それとうまく付き合っていくという姿勢の方がいいのでしょう。
だって、その裏側には、自分の愛が眠っているのですから。
3.それだから、あなたは愛される
昨日の記事では、「それでも、あなたは愛される」というテーマでお伝えしました。
どれだけ、自分が自分のことを責めていても、極悪非道だと思っていても。
世界は、愛を贈ることをやめないわけです。
私も、何度も何度も、そんな経験をしてきました。
「なぜ、こんな私を」とばかりに、戸惑うことも多いのですが、もうそれは「そういうもの」として考えた方が、いいのでしょう。
どれだけ自分が自分を悪い存在だと思っていても、世界は、周りの人は、自分を愛してくれる。
そして、今日の記事はそれをもう少しだけ、積極的な見方になります。
「それでも」ではなく、「それだから」、あなたは愛される。
はい、怖いですねぇ…笑
自分が自分をダメだと思っている、その理由で、いえ、それだからこそ、愛されるんです。
ものごとの見方、とらえ方というのは、一つではありません。
明るい昼間に見る景色と、月の光の下で見る風景が異なるように。
自分が自分を責めている、ダメだと思っていることこそが、自分自身のかけがえのない魅力や才能の一部だったりするんです。
それを、ダメ出ししているのは、もしかしたら、世界の中で自分自身だけなのかもしれません。
あなたがダメだと思っていること、あなたを責めていることがあったとしても。
そのことがゆえに、いえ、それだから、あなたは愛されるんです。
にわかには、信じがたいかもしれません。
でも、「そんなこともあるのかもしれないな」くらいで、いいんです。
それだから、あなたは愛されるのですから。
今日は、それだから、あなたは愛される、というテーマにしてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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