大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

天地始粛、長月のはじまり。

早いもので、今日から9月に入りました。月の替わりですね。

葉月から、長月へ。

夜が長くなる、稲穂が伸びていくといったところが、「長月」の由来とされますが、なんとなく9月の時期に感じる情感と、合っているような気もします。

夏が過ぎゆき、秋がやってくる。

その移ろいは、どこか「長さ」を感じさせるもののように感じます。

「長さ」は、「待つ」感覚にも似ています。

秋は、いろんなことを「待つ」時期でもあるように思うのです。

作物の実りもそうですし、気温が下がって気持ちのいい季節になっていくのも、「待つ」感覚が近いように思います。

 

暑さも止むという「処暑」の言葉の通り、ひところに比べると暑さはずいぶんと止んだように思います。

また、残暑のように暑い日が戻ってはくるのでしょうけれども、季節が変わったなと感じます。

夏が大好きで、それゆえいつも夏が終わる寂しさを抱えている私ですが、もうこの時期になると吹っ切れるんですよね。

なんというか、もう名残の時期なので、あきらめがつくのかもしれません笑

蝉の声も聞こえなくなり、秋の虫の涼やかな声ばかりを耳にするようになりました。

七十二候では「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。

暑さがようやく静まり、秋の気配を強く感じさせるころです。

もうすぐ、「禾乃登(こくものすなわちみのる」)。

稲穂が頭を垂れ、色づき始める時期になります。

それにしても、季節の移ろいというは正確に感じます。

「起こっていることは、すべて正しいこと」

心理学の、そんな金言を想起させてくれます。

 

あれだけ力強かった日差しも、どこか穏やかになり。

吹く風は、涼やかさを含むようになり。

どれだけ夏が好きであっても、その移ろいは止められないようです。

一つの季節の終わりと、また新しい季節のはじまりと。

私たちがそこにどんな解釈を入れようとも、それは進んでいきます。

起こっていることは、正しいこと。

私たちにできるのは、それを受け入れ、そして一緒に進んでいくことだけなのでしょう。

大好きな季節が過ぎゆくのは寂しいものですが、そのままならなさもまた、私たちが生きる理由なのかもしれません。

 

天地始粛、長月のはじまり。

台風が迷走したり、いろいろと大変な長月のはじまりになりました。

暑い夏の疲れもでるころかと思います。

どうぞ、ご自愛くださいませ。