「依存」と聞くと、ネガティブなイメージを持ってしまうことがあります。
しかし、「依存」にもまた恩恵があり、それは私たちが「自立」を手放すときに非常に大切な要素となるのです。
1.「怒り」が隠しているもの
昨日の記事では、「怒り」が隠しているもの、というテーマでお伝えしました。
「怒り」は感情の蓋ならば、どんな感情を隠しているのだろう? - 大嵜直人のブログ
「自立」のお話からの流れでした。
「自立」と「怒り」は、切っても切り離せない関係があります。
「自立」している人は、怒りっぽかったりしますし、その反対に極度に「怒り」を怖れたり、避けたりします。
そもそも「自立」とは、「依存」の次に訪れるステージです。
「依存」時代に傷ついたり、思い通りにいかなかったり、自分の無力を思い知らされたとき、私たちは「怒り」を使って「自立」すると言われます。
思春期において、親に反抗するのは、そうした「怒り」を使って精神的に自立しようとしていたりします。
こうした「怒り」ですが、それ自体が感情というよりも、実はその奥に別の感情を隠しているとされます。
悲しさや寂しさ、あるいは恥ずかしさ、罪悪感…そうした見たくない、感じたくない感情を隠すために、「怒り」を使うわけです。
逆に言えば、「怒り」の裏側には、未完了の感情が眠っているともいえます。
この未完了の感情と向き合うことが、自分を癒し、「自立」を手放していくためのカギであるというのが、昨日のテーマでした。
そして、その多くは「依存」の時代に感じ切れなかった感情であることが多いものです。
2.「依存」とは悪いものか?
この「依存」時代に感じ切れなかった感情というのは、私たちが「自立」を手放していく上で、大切な要素です。
今日は、そんな「依存」時代の恩恵について、もう少し詳しく見てみたいと思います。
「依存」と聞くと、どうしてもネガティブなイメージを持たれるかもしれません。
自分のことを、自分でできない。
感情に振り回される。
主導権がなくて、何をするにも相手次第。
…などなど、そうした「依存」のイメージは、否定的なものかもしれません。
けれども、「依存」時代にも恩恵というものがあります。
今日は、そこにフォーカスしてみましょう、というお話です。
それが、「自立」から「相互依存」に至るときのカギになるからです。
考えてみれば、「依存」がすべてネガティブな要素ばかりであれば、赤子に惹かれたり、かわいいと感じたりするのが、よく分かりませんよね。
自分のこともできず、感情を抑えることもなく、誰かに頼りっぱなし…
それでも、その「依存」に対して嫌悪感を抱くことは少ないですよね。
「依存」とは、必ずしもそれ自体が悪いものではなく、「自立」と同じように、ポジティブな恩恵と、ネガティブな面があるだけなのでしょう。
「自立」であれば、自分で何でもできるようになる反面、孤独を抱えやすくなったり、周りと競争してしまうもの、というネガティブな面があります。
3.「依存」の恩恵
では、「依存」の恩恵とは、どんなものがあるのでしょうか。
先ほど書いた、赤子の魅力を考えてみると、それが非常に近いのでしょう。
無邪気さ。
純粋さ。
感情の豊かさ。
周りの人が応援したくなる感じ。
そうしたものが、「依存」の恩恵であり、魅力です。
それらは、誰しもが「依存」の時代に持っていたものなんですよね。
「自立」していく中で、嫌い、抑圧してきてしまったものなのでしょう。
そのままでは、生きられなかった、ともいえます。
そうして隠してしまった「依存」の要素が、「自立」を手放すために必要になるとは、考えてみればおもしろいものです。
ただ、「自立」の人が嫌ってきた「依存」の要素。
それらは、決して悪いものではなく、私たちに大きな恩恵を与えてくれるものなのです。
今日は、「依存」はそれ自体が悪いものではなく、恩恵があるもの、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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