大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「自立」が与えてくれる自信と、それが崩れるとき。

「自立」していくと、何かができるようになるので自信がつきます。

けれども、それは「かりそめ」とも呼べるもので、いつかその自信が崩れるときがやってきます。

1.勝ち負けの土俵から降りる

先日の記事では、勝ち負けの土俵から降りる、というテーマでお伝えしました。

負けを認めるとは、勝ち負けの土俵から降りること。 - 大嵜直人のブログ

「自立」を手放すための大切なテーマですね。

私たちの心は、「依存」から「自立」へと成長していきます。

「依存」とは、自分では何もできないから、誰かに何とかしてほしいし、与えてほしいという状態です。

この「依存」の状態は、ただ待っていればいいだけなので、ある意味でラクではあるのですが、自分に主導権が無いのがしんどいんですよね。

エサを与えられるのも、空腹に耐えかねるのも、親鳥の都合になってしまう、素の中のヒナの状態ですね。

けれど、この状態が続くと辛いので、私たちは何でも自分でやろうとし始めます。

自分で歩いてみる、自分でエサを探してみる、自分で着替えてみる…

これが、「依存」から「自立」への転換であり、自分の足で地に立ち始めるということでもあります。

「自立」すると、自分でできることが増えていく反面、自分一人でなんでもやろうとすることの弊害が起きやすくなります。

それは、何でも自分でやろうとするあまり、周りから孤立しやすくなり、つながりを感じづらくなるという点です。

また、「できること」「優れていること」が自分のアイデンティティと結びついてしまうため、ずっと頑張り続けないといけない、という点です。

昨日の記事では、こうした「自立」を手放していくために、負けを認める、という視点をご紹介しました。

何も、自分から勝負を投げ出しなさいとか、そういった意味ではありません。

そうではなくて、勝ち負けの土俵から降りる、そこで競わない、というイメージです。

それは、自分の周りを競争相手と見るのではなく、ともに歩む仲間として見るという変化を意味します。

2.「自立」が与えてくれる自信と、それが崩れるとき

「自立」の過程は、私たちに自信を与えてくれるものです。

何かができるようになっていくとき、それは大きな自信ですよね。

自分の足で歩けるようになった。

自分でごはんが作れるようになった。

一人で仕事が回せるようになった。

そうした体験は、私たちの自尊心を育んでくれるものです。

しかし、こうして積み上げた自信は、「かりそめ」のものなんですよね。

なぜなら、それ以上にできる人に出会ったときに、その自信は崩れるからです。

自分よりも、走るのが速い人。

自分よりも、ごはんが上手に作れる人。

自分よりも、仕事をこなせる人。

そうした人に出会ったとき、積み上げた自信がガタガタと崩れます。

これは、「自立」のがんばり方を続けている限り、避けられません。

トーナメントよろしく、ずっと戦っていないといけない状態が、「自立」だからです。

3.負けても、誰にも奪われない自信

「負けを認める」というのは、こうした自信の持ち方を手放していくことです。

そもそも、その土俵に上がらない。

言い換えると、そうした「何かができる」ことではない形の自信を持っていくことです。

自分が自分でいること。

そのことに、自信を持つとも言えるでしょうか。

それは、誰にも奪われない自信です。

そうした自信は、誰かと競うこともありません。

誰かに任せてもいいし、自分でやってもいい。

誰かを応援することもできますし、自分ががんばってもいい。

自分が自分でいることに自信があるとは、そうした状態です。

そのためには、まずは自分が自分を認め、そして愛することが、大切なことなのでしょう。

今日は、「自立」が与えてくれる自信と、それが崩れるとき、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。

※ただいま6月度の個人カウンセリングを募集中となります。

〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。