大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

空の色が変わるとともに、夏の終わりの寂しさもまた、形を変えて。

今朝は、玄関を出た刹那に、「あぁ」と感嘆しました。

肌に感じる空気が、確かに変わったんですよね。

風なのか、陽の光の加減なのか、気温や湿度なのか…そうしたものの総合的なものだとは思うのですが。

季節が移ろう瞬間というか、そういったものが感じられたのです。

朝のお散歩を続けているのですが、この瞬間が感じられるのが、一番の恩恵なのかもしれません。

ようやく少し過ごしやすくなるかな、という思いと、

夏が過ぎゆく寂しさと、

季節が移ろいゆく無常感と。

いろんなものが、感じられる朝でした。

 

時候は、「立秋」も末。

七十二候では、「蒙霧升降(ふかききりまとう)」。

水辺に深い霧が立ち上るころとされますが、近くの公園では、まだまだそんな気配はないようです。

ただ、確実に季節は流れているようです。

もう少しすると、「暑さも止む」という「処暑」です。

私の住んでいる名古屋では、まだまだ酷暑という表現がぴったりの、体温超えの気温が続いていますが、それでも、時は止まらず流れているようです。

 

それでも、夏が過ぎゆく寂しさというのは、どこか慣れてしまったような感覚になるのが、この時期なんですよね。

寂しさのピークは、小暑から大暑あたりの、お盆前なのでしょうか。

お盆を過ぎて、今朝のように目に見えて変わると、どこか「あきらめ」というか、そのような感覚になるんですよね。

「もう、ここまできたら、しゃあないかな」みたいな笑

そんな感覚が、お盆を過ぎると芽生えてくるんですよね。

寂しさの質が変わる、といいますか。

どうしようもない寂しさから、「それもしょうがないよね」という諦念へ。

季節の移ろいとともに、情感もまた、変わりゆくようです。

 

今朝のお話の続きですが、風の感じや気温だけでなく、空の色もまた、変わったようです。

見上げると、少し透明感を帯びたような色。

それは、もう私の大好きな夏の色から、もう少しずつ遠ざかっているような色でした。

それはまた「今年ももう、夏が過ぎていくんだな」と、分かっていることを、再確認させてくれるような。

そんな色を、していました。

形が変わるとはいえ、夏の終わりというのは、やはりせつないようです。

そんなせつなさも、味わい尽くしながら。

季節は、流れていくようです。

 

まだまだ残暑厳しい日が続きます。

夏の終わりの寂しさ、せつなさもありますが、どうぞご自愛くださいませ。

あなたの夏の終わりが、やさしいものでありますよう。