人の心は不思議なもので、表面に見えるものと正反対の感情が渦巻いていたりします。
「見捨てられる」という怖れは、「見捨ててしまう」という怖れの裏表だったりするのです。
1.「見捨てられる」という怖れについて
先日は、「見捨てられる」という怖れについて、というテーマでお伝えしました。
「見捨てられる」という不安や怖れについて。 - 大嵜直人のブログ
「見捨てられる」という怖れや不安というのは、私たちが根源的に持つ怖れの一つです。
親しい人やパートナーから、見捨てられる。
友達や会社から、見捨てられる。
こうした怖れは強烈であり、自分自身が立っている土台を脅かすような、そんな感じを受けたりもします。
それくらい、「見捨てられる」という怖れって、しんどいものです。
こうした怖れというのは、過去の体験から引き起こされることが多いものです。
私たちが小さくて無力だった時代に、保護してくれる存在から突き放されるような経験をすると、「もう、あんな痛い思いをしたくない」と思うのも、無理はないですよね。
こうした「見捨てられる」という怖れには、「自分を理解してくれる人がいない/いなくなる」というものもあります。
自分の感じている悲しさや嬉しさ、あるいは美しさ…そういった心のひだのようなものを、理解してくれる人がいなくなる。
この種の怖れもまた、非常にしんどいものです。
こうした怖れに対しては、自分が自分を理解していくというアプローチが、まずは王道なのでしょう。
自分が自分自身を理解するほどに、「自分を理解してくれる人が、この世の中にいるかもしれない」という希望を、少しずつ持つことができるようになっていきます。
先日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.まったく違うようで、裏表の心理
さて、こうした「見捨てられる怖れ」ですが、今日はこの怖れを少し違う角度から見てみたいと思います。
人の心というのはおもしろいもので、まったく違うように見えて、実は同じことの裏表ということがあります。
たとえば、被害者と加害者、という心理があります。
ある人に傷つけられた側が、被害者。
そして傷つけた側が、加害者になります。
この被害者と加害者という心理は、まったく正反対、違うように見えて、実はものすごく近いところにあったりします。
え?被害者は傷つけられているのに、おかしくない?
と思われた方、普通に考えれば、そうなんです。
でも、心の世界って、普通じゃないこともたくさんあるんですよね。
被害者が被害者でとどまり続けると、その心理は限りなく加害者のそれに近づいていきます。
「私は傷つけられた」
「私は被害者だ」
「相手は、私を傷つけた分、謝罪や賠償をしないといけない」
「私を傷つけた分、相手も痛みを負うべきだ」
と、こうした心理に陥ってしまうことは、誰でも経験することだと思います。
そして、加害者はその罪悪感から、被害者の心理に入れ替わります。
「私はひどいことをした」
「私は罰せられなければならない」
「ただ、相手もそこまで言うことはないんじゃないか」
「謝罪と賠償を過度に求めるのは、違うんじゃないか」
どこか、被害者の心理になっていきますよね。
被害者と加害者の心理って、同じことの裏表だったりします。
「見捨てられる怖れ」についても、似たようなことが言えます。
3.見捨てられる怖れは、見捨ててしまう怖れの裏表
「見捨てられる怖れ」があるとき、どうしても受け身で、被害者のような意識を持ってしまうものです。
それは当然のことなのですが、自分の心の内を俯瞰していくときに、ちょっとそこから離れた視点を持ってみることは、とても大きな意味を持ちます。
すなわち、「見捨てられる怖れ」の裏側には、「見捨ててしまう怖れ」があるかもしれない、という視点です。
え?見捨ててしまう?誰が?
と思われたでしょうか。
もちろん、「自分が」「相手を」「見捨ててしまう怖れ」です。
見捨てるも何も、それを決めるのは相手の方じゃないの?と思われたでしょうか。
そう感じるのが自然なんですが、そうじゃないんですよね。
「見捨てる」「見捨てない」という選択権は、相手だけにあるのではなく、自分自身にもまた、あるのです。
そして、何が怖いかって、自分自身が「見捨てる」という選択をしてしまうことが、最も怖いんですよね。
「見捨てられる」怖れを感じているとき、表層的には、相手に見捨てないでほしい、という感情を感じています。
けれど、その裏側にあるのは、「(自分が)見捨ててしまう」という怖れだったりします。
その対象は、いま目の前の相手ではないかもしれません。
過去に、自分が「見捨ててしまった」と感じた相手かもしれません。
その怖れが強烈であるがゆえに、「見捨てられる」怖れとして現れてくる、ということもあるのです。
そう考えていくと、「見捨てられる怖れ」を癒していこうとしたときに、アプローチの一つとして、自分が「見捨ててしまった」と感じたできごとや経験を、癒していくということも有効なのです。
もちろん、そうじゃない場合もあります。
ただ、こうした怖れとの向き合い方の選択肢の一つとして、まったく逆の感情(怖れ)が、自分のなかにあるかもしれない、という見方は、私たちに癒しの幅を与えてくれるものです。

今日は、見捨てられる怖れの奥底には、見捨ててしまう怖れが潜んでいたりする、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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