どんな問題であっても、そうせざるを得なかった事情があります。
そして、その事情はいつも愛からきているのです。
1.感情を溜め込んでしまうのにも、事情がある
先日の記事では、感情を溜め込んでしまうのにも、事情がある、というテーマでお伝えしました。
感情を溜め込んでしまうのにも、その人なりの事情があるよね。 - 大嵜直人のブログ
感情とは、私たちがコントロールできるものでもなく、ただあらわれ、ただ流れていくものです。
それを無理に抑えたり、無視したり、感じないようにすることは、とても不自然なことなわけです。
流れている大河を止めようとしたり、噴火する火山を抑えようとするとか、雨を止ませようとするとか、そんなことは無茶ですよね。
その無茶なことをしようとすると、ロクなことがないわけです。
感情を溜め込むと、それにエネルギーを使ってしまい、自分に余裕がなくなりますし、周りの人との関係性をも損なってしまうなど、しんどいことばかりです。
ただ、そうした感情を溜め込んでしまうことにも、事情があるよね、というのが昨日のテーマでした。
これ、感情を溜め込むことに限らず、心理学のなかのいろんな問題においても、そうなんですよね。
その問題が起きるのには、何がしかの事情があるわけです。
感情を抑え込んでしまうことにしても、そうせざるを得なかった何かがあるわけです。
相手を傷つけたくなかったとか、愛する人に心配をかけたくなかったとか、自分がやらなければいけないことばかりで、感情を感じている時間もなかった、とか。
感情を溜め込んでしまった自分を責めるよりも、そうした事情にちゃんとフォーカスしたほうがいいですよね、というのが先日のテーマでした。
2.事情とは、その人の行動原理
その事情とは、言い換えてみると、その人の行動原理といえます。
何を、大切にしているのか。
何が、イヤなのか。
あるべき姿とは、どんな姿なのか。
どうなってほしいのか。
そのなかで、自分の役割や、すべきことは何なのか。
そうしたことが複合されたものが、その人の行動原理なのでしょう。
感情を溜め込んでしまうことにしても、さまざまな問題にしても、この行動原理がもとになっているものです。
そう考えていくと、そうした行動原理=事情を無視して、「感情を溜め込んだらあかん」「問題はあかん」としてしまうのは、自分で自分の存在意義を否定してしまうくらい、しんどいことなのかもしれません。
自分が大切にしていることを守ろうとして、そうなっているのに、それを頭ごなしに否定されてしまったら、それはしんどいものです。
3.すべての行動原理は、愛からきている
もう少し突き詰めていくと、そうした行動原理は、すべて愛からきているものです。
誰かを大切にしたい。
誰かの笑顔を見たい。
誰かを安心させたい。
そうした想いが、根底にあるものだと思います。
カウンセリングのなかでも、ほんとうにそう感じる場面が多いものです。
感情を溜め込むことはよくないとか、この問題を解決するには、とか考えることも大切だとは思います。
ただ、まずはこうした自分の愛とつながっておくことができると、そうした問題の見方やとらえ方もまた、変わっていくものです。
昨日の繰り返しにはなりますが、感情を溜め込んでしまうのも、問題を抱えるのも、責められるべきことではありません。
ただ、その人の愛からきているものだとすれば、なおさらそうではないでしょうか。

今日は、そうせざるを得なかった事情は、いつも愛からきている、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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