「寂しさ」を埋めるために、相手を求めると、なかなかうまくいきません。
そうではない、つながりを求めるというイメージについて、お伝えします。
1.自立的な人が「寂しさ」を嫌う理由
昨日は、自立的な人が「寂しさ」を嫌う理由、というテーマでお伝えしました。
自分でなんでもやろうとする自立的な人は、自分の弱さを認めることを嫌います。
そしてそれ以上に、弱さを自分以外の人に見せることを嫌います。
人は、誰でも最初は依存の状態からはじまります。
自分では何もできない、だから誰かに何かを与えてほしい、誰かがなんとかしてほしい、という状態ですね。
ただ、その依存の状態は、与えてもらえるかどうか、もらえるかどうは、すべて相手次第であり、自分の思い通りにはいかない状態です。
それゆえに、自分の欲しい愛が与えてもらえずに、傷つくことが往々にしてあるわけです。
そうした経験を経ていくと、「もう、それなら要らん!」とばかりに、自分でなんでもやろうと立ち上がろうとします。
これが自立のはじまりであり、それは自分の弱さ、依存心、感情的な部分、力のなさといったものを嫌ってするわけです。
それゆえに、自立している人は自分の弱さを見せたがらないですし、「寂しさ」なんてもってのほかです。
しかし、「寂しさ」とは弱さではありません。
それを受け入れることで、周りの人とのつながりを生む、大切な感情なんですよね。
「寂しさ」を我慢することが強いんではなくて、自分の「寂しさ」をきちんと受け止めた上で、周りとつながろうとすることが、真の強さなのでしょう。
2.「寂しさ」を埋めるために相手を求めない
さて、この「寂しさ」を受け止めた上で、周りとつながるって、難しいものです。
あまりうまくいかないのは、自分の「寂しさ」を埋めるために、誰かを使う、というパターンです。
はい、どうしてもやってしまいますよね笑
けれども、それは悪い意味での依存であり、その相手との関係性は長続きしません。
自分が我慢したり、相手が我慢したり。
どうしてもその相手からもらおうと、執着してしまったり。
あるいは、「これだけしてあげるから、これくらいちょうだい」とばかりに、取引になってしまったり。
または、自分も相手も、お互いがいないと生きていけない、というような共依存的な関係になってしまったり。
どれかは、経験ありませんでしょうか。
こうした関係って、対等でない分、なかなか長続きしないし、続いていたとしてもしんどいものです。
自分の「寂しさ」を埋めるために、相手を求めるこは、あまりよい方向には向かわないのです。
3.つながりを求める、ということ
「寂しさ」を受け止めるというのは、あくまで自立の先にあるものです。
それは、自分の感情の処理を、誰かに押しつけない、という表現もできるのでしょう。
処理、って言葉はあまり響きがよくないかもしれませんが、でもそうなんですよね。
先ほども書いたような、「寂しさ」を埋めるために誰かを使う、というのも、その典型ですよね。
自分の感情を、まずは自分が感じ尽くす。
ネガティブな感情の原因やその解決を、相手に求めない。
自分の責任として、自分の感情をちゃんと流してあげる。
そうした態度は、真に自立した人だからこそ、できることなのでしょう。
その上で、誰かとつながろうとすることは、大きな喜びを私たちに与えてくれます。
「あなたと一緒にいたい」、という想いを、伝えること。
もちろん、それを相手がどう受け止め、どう反応しようとも、相手の判断を尊重するという姿勢も、求められるのでしょう。
一見すると、厳しいような世界に見えるかもしれません。
けれども、それは自分も相手も尊重できる、とても楽な世界なのです。

今日は、つながりを求めることのイメージについて、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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