与えられた「才能」を、自ら抑圧して封印してしまうことがあります。
それは傷ついた経験がそうさせるのですが、そんなプロセスと、その抜け出し方についてお伝えします。
1.「才能」ゆえに傷つくこともある
先日の記事では、自分の「才能」ゆえに傷つく、というテーマでお伝えしました。
自らの「才能」ゆえに傷つく、ということ。 - 大嵜直人のブログ
ずっと欲しくてたまらないのに、手に入らないものは、自分自身の「才能」と深く結びついてる、というお話からのつながりでした。
ここでいう「才能」とは、能力や何かができることというニュアンスではなく、「その人のアイデンティティであり、周りに与えることができるもの」というほどの意味です。
ただ、文字面だけを読むと、なんだか矛盾していて意味不明ですよね。
「手に入らないものが、与えられるもの…?」って、普通はなりますよね。
けれど、そう見えることと反対のところに真実があるのが、この世の常だったりします。
自分にとって「才能」がある分野ほど、私たちは自分に対して厳しくなります。
たとえば、人に安心感を安らぎを与えられる「才能」がある人にとって、不安な人や困った人が自分の近くにいたりすると、それは容易に自分を責める材料になるわけです。
めっちゃサッカーが上手い人がいたとします。
その人がチームに入って試合をしたけれど、健闘及ばずに敗れてしまった。
そんなとき、その上手い人は「もっと自分がこういうプレーをしていたら、勝てていたのかもしれない」と考えて、自分を責めたりするかもしれません。
「才能」ゆえに傷つくのは、それと似たようなものかもしれません。
ただ、そこで留まっていても、傷は癒されないし、周りも幸せではないわけです。
自分の「才能」をいかに与えるかを考えていくことが、その傷を癒すことにつながります。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.「才能」を封印してしまう瞬間
さて、今日はその「才能」を封印するというか、自分の力を抑圧してしまうことについて、もう少し詳しく見てみたいと思います。
たとえば、人と人の「つながり」をつくる才能を持ったAさんがいるとします。
そうした才能を持ったAさんは、どんな場所を選んで生まれてくるでしょうか?
どんな環境を選ぶのでしょうか?
そうなんです、「つながり」を感じられなくて苦しんでいる人や、寂しさに心を痛めている人が、たくさん周りにいる環境を選ぶのですよね。
(先日の記事でも、「平和の天使のたとえ」をお伝えしました)
それが、親なのか、きょうだいなのか、友だちなのか、それは分かりません。
けれども、とても寂しい人、つながりを求めている人が、周りにいるわけです。
それを見たAさんは、その寂しさを癒したいと思うわけです。
その孤独感を、なんとかしてあげたい、と。
それで、Aさんは必死になって、身を粉にしてその寂しさを癒そうとするわけです。
最初は、それで喜んでくれる人もいるかもしれません。
けれども、先ほど書いたとおり、周りには寂しい人ばかりがいる環境を選んでいるわけですから、それは賽の河原よろしく、どこまで与えても終わることはありません。
Aさんが懸命に与えても、「足りない、もっと、もっと」と求められることも、あるかもしれません。
それならまだしも、時にはそのAさんのアプローチを受けとってくれなかったり、拒否してきたり、批判してきたりする人もでてきたりします。
そうすると、Aさんは深く傷つくわけです。
それは、そうした相手に対しての怒りよりも、
「助けたいのに、助けられなかった」
「癒してあげたいのに、癒してあげられなかった」
という罪悪感となって、Aさんを苦しめます。
それがしんどいので、
「もう知らん!人の寂しさなんて、どうでもええわ!」
「ほんとは、こっちの方が寂しいのに!」
とやけになったりするわけです。
そして、つながりを怖れて、孤独に生きることを選んでしまう…
3.振り返ってみれば、それでも与えてきた
因果なものですよね。
それを与えようとしてきたのに、それがゆえに傷つく。
そして、その「才能」を封印してしまう。
「才能」があるがゆえに、傷つきもするし、痛みを感じもする。
でも、その痛みからは、与えることでしか抜け出せないんですよね。
先ほどの「つながり」の才能を持った人が、孤独に生きても、それは癒されないんです。
どこかで(いい意味で)あきらめて、与える側に回ることが、この痛みの解決策です。
ある意味で、それが残酷なことであることは、重々わかっています。
けれども、それしかないんですよね。与えるしか。
ただ、それはいきなりすべて180度変えなくてはいけないわけでは、ありません。
むしろ、いままでずっとしてきたことの価値を認めることから、始めればいいんです。
だって、傷ついても傷ついても、与えようとしてきたのでしょうから。
深く傷ついたのは、それだけ真剣に、人生をかけて与えようとしてきたからでしょうから。
相手がどう受け取ったかは、あまり重要ではないのかもしれません。
そのプロセスの価値を、まずは自分自身が認めてあげること。
それが、一番大切なことなのでしょう。
今日は、「才能」を封印してしまう瞬間とは、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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