大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

下弦の三日月を見上げた夜。

その日は、なんだかうまくいかない日でした。

「うまくいくって、どういうことでしょうね」

そんなことをいつもカウンセリングで言っておきながら、自分のことになると、そんなものです笑

なんだか思い通りにいかず、やきもきしたり、ため息をついたり。

「このできごとは、自分にとってどんな意味があるんだろう」

そう考えようとしながらも、思考はエゴにまみれてしまうようです。

まあ、そんな日もあるかと思いながらの、帰り道。

まだ肌寒い、春の夜の風が吹いていました。

 

ふと見上げると、薄曇りの夜空に浮かぶ、三日月。

…三日月なのはそうなのですが、その月は下半分が光っている三日月でした。

左半分か右半分が欠けるのが、三日月のイメージなのに、不思議なものだと、しばしその月を見上げていました。

下弦の三日月、とでも呼ぶのでしょうか。

実に不思議なその月は、流れていく雲に隠れてしまいましたが、雲を通してもその輝きは失われることはありませんでした。

不思議な、下はんぶんの三日月。

美しく、不思議な形の月。

世界には、まだ知らないことが、たくさんあるようです。

それは、人が運んでくれるものもあれば、こうして月や日の光が見せてくれるものもあります。

何かが開かれたとき、私たちはそれを受けとることができる。

なぜかそれは、私たちが思うようにいかないと感じているときだったりもするようです。

見上げていると、その三日月は口角を上げているようにも見えました。

春の夜空に浮かぶ、ニッコリ笑顔。

不思議なその笑顔を眺めていると、つい時を忘れてしまいそうになるようでした。

まだ肌寒い春の夜のこと、冷えるのはよろしくありません。

早めに帰って、お風呂で身体を温めて休もう。

そう思いながら、三日月の下を歩くのでした。

月は変わらず、私に微笑んでくれているようでした。