私たちが傷つくのは、大切な人に愛されなかったときであり、大切な人を愛せなかったときです。
そうした経験があると、心は固く閉じてしまうものです。
ただ、それはほんとうに愛されなかった、愛せなかったのでしょうか。
1.「弱さ」とは、痛みの記憶
先日の記事では、「弱さ」とは痛みの記憶、というテーマでお伝えしました。
自立の人が隠したがる「弱さ」とは、痛みの記憶。 - 大嵜直人のブログ
「弱さ」についてのお話の流れからでしたね。
私たちの心は、依存から自立へと成長していきます。
その自立していくプロセスの中で、私たちは自分の「弱さ」を嫌い、他人から隠すようになります。
自立とは、何でも自分でやろうとするマインドですから、弱いままではいけないわけです。
「弱さ」を認めてしまうと、またあのしんどかった依存時代に逆戻りしてしまうかもしれないからです。
この「弱さ」というのは、自分が過去に傷ついた経験と深く結びついている、というのが昨日のテーマでした。
自分にとって大切な人から、否定された。
そのままだと、みんなから嫌われるよ、と教えられた。
自分のその弱さゆえに、誰かが傷ついたりした。
そうした経験をすると、私たちはその弱い部分を嫌い、誰にも見せなくなります。
それは、自立をしていく中では顕著になるわけです。
だから、自立しすぎてしんどくなってきたときには、この自分の「弱さ」を受け入れることが、とても大切なプロセスになります。
2.何に傷ついたのだろう?
さて、今日はこの「弱さ」の源泉となる痛みの経験について、もう少し掘り下げてみたいと思います。
昨日の記事でもお書きしましたが、自立の人が「弱さ」を隠したくなるのは、その「弱さ」自体を否定しているからです。
なぜ、その「弱さ」を否定するのかといえば、その「弱さ」ゆえに傷ついたできごとや経験があったから、なのでしょう。
「自分の力が足らず、誰かを救えなかった」
「自分が弱いから、誰かの足を引っ張ってしまった」
「自分の弱さを、誰かに否定やダメだしされた」
いろんなケースがあると思いますが、やはりカギになるのは、他人との関係性なのでしょう。
上に挙げたような経験ですが、便宜上「誰か」とお書きしましたが、誰でもというわけではないんですよね。
もちろん、道を歩いていて、名前も知らない人が急病で倒れて、その人を救えなかった…みたいなできごとが無いとは言い切れないですが、やはり私たちが傷つくのは、多くの場合、自分にとっての大切な人です。
大切な人、愛する人との関係性のなかで、上に挙げたような経験があると、深く傷つくし、弱い自分を否定し、隠したくなるわけです。
どうでもいい人に何か言われても「あいつムカつくわ」で済みますが、同じことを大好きな人に言われたら、傷つきますよね。
なんとなく、伝わりますでしょうか笑
3.愛されなかった、愛せなかった
こうした経験って、それを突き詰めていくと、二つの想いに行き着きます。
「わたしは、あなたに愛されなかった」
「わたしは、あなたを愛せなかった」
この想いが、私たちにとってものすごく痛いんですよね。
「愛されなかった」と「愛せなかった」。
この経験があると、私たちは深く傷つくし、それによって「もうこんな想いをしたくない」とばかりに、弱さを隠したりするようになります。
愛されなかった、愛せなかった。
自立していく中で、私たちが強固に持つようになった観念に、こうした「愛されなかった」「愛せなかった」という想いは色濃くなっていくものです。
しかし、それは本当でしょうか。
その経験を癒していくことが、「弱さ」を受け入れていくことにもつながるのですが、それはもしかしたら、こうした観念、思い込みをもう一度、検証し直していく作業ともいえるのでしょう。
検証、というとちょっと難しそうに聞こえますね笑
そんなに難しいことでは、ないんです。
いかに、自分が愛されていたか。
いかに、自分が愛してきたか。
それを、ただ受けとるだけなんです。
え?やっぱり難しそう?
そう感じるのなら、バリバリ自立のなかにいるのでしょう。
でも、大丈夫です。
あなたが愛されてきたこと、そしてずっと愛してきたこと。
それを受けとるタイミングは、必ず訪れるものですから。

今日は、愛されなかった、愛せなかった痛み、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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