「許し」のプロセスは、長距離走のようなものです。
早く完璧に許せるようになろうとするよりも、そのプロセスを楽しむくらいでちょうどいいのです。
1.「許し」にいたるプロセス
昨日の記事では、「許し」にいたる4つのプロセスをご紹介しました。
「許し」へのステップ ~その4つプロセスについて - 大嵜直人のブログ
心理学における「許し」とは、相手やできごとを100%主体的に受け入れることを指します。
それは相手のためにするものではなく、自分のより善き生のためにするものです。
許すことで、私たちは誰かや何かを責めることから生まれる罪悪感から、解放されます。
これが、とても大きいんですよね。
被害者のポジションに自分を置いていると、依存的でいられるので楽ではあるのですが、誰かを責めることの罪悪感からは逃れられません。
「許し」は、そうしたポジションから自分を救い、主体的に生きることを手助けしてくれる心のはたらきです。
この「許し」にいたるプロセスは、4つのステップがあることを昨日の記事ではご紹介して、それぞれのステップについて解説しました。
- 感情の解放
- 感情的理解
- 感謝
- 恩恵を受けとる
もちろん、すべての人のプロセスが同じように進むわけではありませんが、一つのモデルとしてとらえていただければと思います。
昨日もお書きしましたが、2番目の「感情的理解」が、大きな転換点になります。
相手の言動を、感情や心情から理解すること。
それができると、ずいぶんと見える景色が変わってきます。
2.許せている?許せていない?
さて、こうした「許し」の心理に触れていくと、「いまの自分は、許せているのだろうか?」と気になってしまうことがあります。
これ、完璧主義の人がよく陥る思考だったりします。
はい、私もよく陥りました笑
白か、黒か。ゼロか、イチか。
許せているのか、許せていないのか。
はっきりさせないと、気が済まないといいますか笑
でも、心の世界において、はっきりとすることなんて、ほとんどないんですよね。
なんとなく、今日は気分が重いとか。
あの人のこと、嫌いじゃないけど、そんなに近づきたくもない、とか。
「許し」においても、そうです。
100%許せているなんて、不完全な私たちには、難しい話です。
20%くらいは許せているけれど、80%は許せない、みたいなことが、ほとんどだと思います。
しかも、それも日によって変わったり。
昨日はすごく晴れ晴れと許せる気分だったのに、今日はなんか怒りや執着がすごくぶり返してきたり。
それが、当たり前なんですよね。
なので、「すぐに許そう」とか思わなくてもいいんです。
なかなか許せない自分を、責めたりなんか、しなくてもいいんです。
ただ、「許し」というものがあること。
そして、少しでもその「許し」に向かいたいと思っていること。
それだけで、もう二重丸というか、花マルなんですよね。
3.「許し」の旅路は長距離走
「許し」の旅路は、長距離走のようなものです。
いえ、長距離走どころか、ゴールのないものといえるかもしれません。
ゲームのように、クリアしたら終わり、というものではありません。
「許せた」と思っても、また執着がぶり返してきたりしたら、それはもっと深い「許し」に至るプロセスが始まったと見るのが、いいのでしょう。
あるいは、「許し」の対象も、変わっていったりするものです。
パートナーを許していたはずが、過去のパートナを許すことになっていったり、あるいは親を許すプロセスに入っていったり。
「よーし、許せたから、もう終わり!」
とはならないのが、「許し」のプロセスです。
もちろんそれは、「許し」に限らず、自分の心を磨く、整える、自分を愛するというプロセスすべてに、言えることなのでしょうけれども。
だから、あせらなくても、大丈夫なんです。
誰かを不俱戴天の仇のように感じていたとしても、大丈夫なんです。
そこから、「許し」の始まるのですから。
この記事を読んで、「ふーん、『許し』ってのがあるのか」と思われたなら、もうその旅路は始まっています。
あせらず、じっくりと。
そのプロセスを、楽しんでいきましょう。
今日は、「許し」は長距離走、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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