大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

パートナーシップの危機その3 ~パートナーを嫌いになる心理

パートナーのイヤな面が目につくときの心理について、考えてみます。

それは、自分を深く愛するためのチャンスだったりするのです。

1.自立と依存が入れ替わるとき

昨日の記事では、パートナーシップの危機その2、というテーマでお伝えしました。

パートナーシップの危機その2 ~自立と依存が入れ替わるとき - 大嵜直人のブログ

その1は「主導権争い」でしたが、昨日のその2は「自立と依存が入れ替わるとき」というテーマでした。

パートナーシップという二人の関係は、どちらかが「自立」、どちらかが「依存」という心理的なポジションに入ります。

「自立」がその関係を引っ張っていくリーダーシップを発揮する側であり、多くの場合は惚れられた側であり、それゆえ感情を感じにくいポジションともいえます。

一方で「依存」は、相手についていくフォロワーシップの側であり、惚れた側であり、それゆえに感情に振り回されることの多いポジションです。

この「自立」と「依存」がバランスをとれているときはいいのですが、この関係が逆転することがあるんですよね。

それは、お互いの生活や環境に変化があったときに起こります。

転職や転居、交友関係の変化、結婚や出産、あるいはお互いの家族との関係の変化など。

こうした関係性の変化は、ある日突然に起こるというよりは、徐々に徐々に変わっていき、「気づいたら逆転していた」ということが多いものです。

「自立」と「依存」の逆転が起こると、それまで「自立」にいた側は「依存」に叩き落され、「どうか、わたしを見捨てないで…」という心理になります。

その逆に、それまで「依存」にいた側は、「自立」のポジションに入るため、「この人、こんな頼りなかったっけ…」みたいなことを感じたりします。

このように、「自立」と「依存」が入れ替わるときというのは、パートナーシップにおいて危機であり、非常にデリケートな時期と言えます。

しかし、このプロセスは、パートナーシップを深めるチャンスでもある、と昨日お伝えしました。

言ってみれば、立場が入れ替わった分、お互いがそれまで感じていたことを、感情的に理解できるチャンスになるんですよね。

「あぁ、いままで相手はこんなことを感じていたのかもしれないな」

そうした理解が進むと、パートナーとの絆は深まっていきます。

そのプロセスを経ることで、「依存」と「自立」から「相互依存」という、お互いがお互いを支え合うステージに進むことができます。

昨日の記事ではそんなテーマをお伝えしました。

2.パートナーを嫌いになる心理

今日もその続きで、パートナーシップに危機が訪れるとき、というテーマをお伝えしたいと思います。

今日は、「パートナーが嫌いになるとき」を考えてみたいと思います。

はい、これは端的にパートナーシップの危機になりますよね。

誰だって、好いた惚れたの状態でいられれば、別れようとは思わないでしょうから笑

「なんか、この人のこと、イヤだな…」とか、そういった感じを受けるときの心理を、少し深掘りしてみたいと思います。

こうした違和感は、ある特定の行動や言動に感じるものです。

そしてそれは、関係性がある程度長くなってきたときに、感じることが多かったりします。

そもそも、はじめから「イヤだな」と感じているのなら、パートナーにはならないでしょうから笑

付き合い始めのころは、気にならなかったことが、なんだかすごく気になりだしたり。

あまり気にしていなかった部分が、すごくイヤに感じるようになったり。

もちろん、それは結婚や同棲など、環境やコミュニケーションの取り方が変化したことで生じたと考えることもできるのでしょう。

けれども、これを自分の心と向き合う契機としてとらえることができると、非常に大きな恩恵を受けとることができます。

はい、いつもの「パートナーは自分の鏡」というやつです。

イヤですよねぇ、ほんと…でも、しょうがないんです笑

3.パートナーを見るとき、自分自身を見ている

パートナーは自分自身を映し出す鏡

「パートナーは自分の鏡」というのは、「投影」の心理から考えることができます。

私たちは、自分の心の内にあるものを、外の世界に映し出します。

そして、自分に近しい存在にほど、色濃く映し出すものです。

パートナーなんてのは、その最たるものです。

なので、「前は気にならなかったのに、パートナーのイヤな面が目に付くようになった」というとき、それはパートナーとの関係性が近くなったがゆえに、目に付くようになったともいえます。

たとえば、1キロ先で立っている人が、何かしていても気にならないのが、1メートルまで近づいてきたら、嫌でも目に入りますよね。

そして、このたとえの中の「立っている人」というのは、自分を映し出した姿なんですよね。

関係性が近くなるというのは、そういうことなんです。

近くなればなるほど、気になるところや、目につくところが増える。

そしてそれは、自分自身を映し出した鏡なんですよね。

だから、パートナーのイヤなところが目につきだしたら、目を自分に向けるんです。

「どうして、そこがイヤだと感じるのだろう?」

「なぜ、そこに嫌悪感を覚えるのだろう?」

「もし、それが自分のなかにあるとしたら、なぜそれを嫌っているのだろう」

パートナーにイヤな面が目につくとき、それは自分自身の内面の闇を映し出している可能性が高いのです。

自己嫌悪、自己否定という、闇です。

これ、ふだんは見えないように、上手に隠しているんです。

だって、いつもそんな自己嫌悪を感じていたら、めっちゃ辛いですから。

それが、パートナーとの関係性が近くなったことによって、顕在化するというか、見えるようになったわけです。

いかにして、自分を愛するか

だから、パートナーのイヤな面が目につくとき、パートナーが嫌いになってきたとき、問われているのはこうです。

「そんなあなたを、どうやって愛しますか」

そこを見たくないので、私たちは外に目を向けてしまうんですけれどね。

「パートナーが変わってくれたらいいのに」

「もうあきらめて、別の人を探した方がいいんじゃないのか」

けれども、別のパートナーと新しく関係性を築いたとしても、また同じことが起こる可能性があります。

だって、自分のなかの闇は、変わらずそこにあるわけですから。

その闇を、どう愛するか。

自分のなかにある、忌み嫌っている部分を、どう愛するか。

そこを解消しない限り、同じパータンを繰り返す可能性があります。

これ、別に「パートナーを変えることが、悪いことだ」と言っているのではありません。

どんな選択をしても、いんです。

ただ、パートナーのイヤな面が目につくときというのは、もっと自分を愛せるようになるチャンスであることは、間違いないのでしょう。

そして、自分を愛するほどに、パートナーのこともまた、愛せるようになるのもまた、真実なのです。

いかにして、自分を愛するか。

パートナーのイヤな面が目につくとき、私たちはそんなことを問われているのです。

今日は、パートナーを嫌いになる心理、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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