「怒り」はイヤな感情ですが、「自立」を進める効用があります。
しかし、それも過ぎると、「自立の自立」と呼ばれる状態に陥ってしまいます。
そうした「自立」と「怒り」の関係について、お伝えします。
1.人は「怒り」を使って「自立」する
「怒り」の持つエネルギー
自分が怒るのも、人が怒っているのを見るのも、イヤなものですよね。
私も、ニガテな感情の一つです笑
怒るのも怒られるのもイヤですし、誰かが怒られているのもイヤですねぇ…
しかし、そんな「怒り」にも、大切な意味があります。
「怒りっぽい人」という人は、エネルギッシュな人が多いものです。
怒ってばかりいる人は、それだけ日々をパワフルに生きている人、ともいえます。
そうした「怒り」ですが、「自立」と深い関係があります。
私たちは、どんな環境でも「依存」の状態からはじまります。
この世に生れ落ちたとき、小学校に入学したとき、はじめて恋愛したとき。
何もできない状態から始まるわけですよね。
「依存」の状態は、周りの人から愛を受けとる役割ともいえますが、さりとてずっとその状態でいるわけにもいきません。
自分のできることを増やしていく、「自立」の状態へと成長していく必要があります。
動物の世界だと、成体になると巣穴から放り出したりして、強制的に「自立」させたりもします。
早く「自立」しないと、その子にとって危険だからなのかもしれません。
しかし、人の場合はそうもいきません。
そこで、人は「怒り」を使って「自立」する、といわれます。
精神的に「自立」するといわれる思春期、親に中指を立てて反抗するのは、そうした「怒り」を使っているともいえます。
「なんでこうしてくれないんだ」
「もっとああしてほしかったのに」
「依存」時代に満たされなかった痛みや傷を、「怒り」に変えて「自立」していくわけです。
このように、「怒り」というのは私たちを突き動かす、大きなエネルギーになりえます。
「怒り」はステージが移り変わるサイン
「怒り」とは、「自立」を促すための重要な感情。
これは言い換えると、「怒り」が出てきたということは、次のステージに移る一つのサインといえます。
これは、何かショックなことがあったときも同じです。
失恋したとき。
大切な人に裏切られたとき。
何かに失敗したり、挫折したりしたとき。
とても落ち込んだり、気分が滅入ったり、自分を責めてしまったりするものです。
ショックなことが起きたときの反応として、それはとても自然なものです。
そこで、何か無理やりに動こうとしても、なかなか動けないものです。
まずは、その状態の自分をいたわることが大切なのでしょう。
しかし、ある時期を過ぎると、「怒り」を感じることが出てきます。
「なんでこんな目に遭わないといけないんだ」
「私は何にも悪くないのに、ひどい」
「だって、しょうがなかったじゃないか」
そうした「怒り」が出てくるのは、大きな変化のサインです。
それをいけないことと思わず、安全な場所で吐き出していくと、次第にその状況を受け入れることができるようになります。
「怒り」は、ステージが変わる一つのサインです。
2.「怒り」で感情を抑圧する「自立の自立」
さて、そうした「怒り」ですが、それが過ぎると、また困ったことが起きます。
「自立」は、自分のできることを増やしていくポジティブなステージですが、それと同時にネガティブな面もあります。
その代表的なものが、孤独になりやすいことと、感情を抑圧してしまうことです。
そもそも人は、「依存」時代に感じた無力感や無価値感といった、イヤな感情を避けたいがゆえに、「自立」するものです。
それゆえに、「自立」していくほどに、そうした感情を感じることを自分に禁じていきます。
具体的には、「怒り」を使うことで、感情を抑圧するわけです。
寂しさ、無価値観、罪悪感、悲しさ…そういったイヤな感情を、「怒り」を使って抑えつけていきます。
そうしたネガティブな感情だけを抑えることができればいいのですが、一方の感情を切ってしまうと、その反対のポジティブな感情を感じることも難しくなります。
寂しさを切ると、つながりも感じられなくなります。
悲しさを切ると、喜びも感じられなくなります。
それを繰り返していくと、感情がマヒしたようになっていきます。
自分が感じていることを切ったロボットのように、何かを演じているような状態になることがあります。
これが、「自立の自立」とよばれる状態です。
「自立」が行きつくところまで、行ってしまった状態です。
この状態になると、無気力、無感動になってしまうことも多く、燃え尽き症候群のような症状になることもあります。
それは「デッドゾーン」ともよばれます。
昨日の記事で、「自立の依存」をご紹介しました。
「自立の依存」では、「自立」の裏側に隠した依存心がありました。
その依存心すら、感じることを抑圧してしまうのが、「自立の自立」の状態といえます。
3.「自立の自立」は新しい世界への扉
この「自立の自立」の状態。
何も感じず、ただ毎日するべきことをしているだけのような状態。
ただ疲労感がある、荒涼として燃え尽きたような状態。
その状態は、ある意味で「死」と近い状態といえます。
しかし、「死」と最も近い場所にあるのが、「誕生」でもあります。
卒業と入学。死と再生。別れと出会い。
それらは、糾える縄のごとく絡みあっているのでしょう。
「自立の自立」とは、「自立」の行き着く先ではありますが、それは新しい自分と出会える場所でもあります。
「自立」の先には、「相互依存」の世界が待っています。
「相互依存」とは、自分でできることは自分でするし、自分でできないことは、誰かに頼る、お願いできる、という状態です。
Win-Winの関係性と呼ばれたりもします。
言い換えると、「自立の自立」の状態にいたることができたら、「相互依存」の世界の扉の前に立っているのでしょう。
よく、そこまで来れましたよね。
そう思いませんか?
「自立の自立」は、問題と見ることもできますが、新しい世界への扉の前に立っている状態、とも見ることもできます。
まずは、そこまでがんばってきた自分をいたわること、ねぎらうこと。
そして、いままで禁じていたことが、その扉を開く鍵になります。
人に頼ること、受けとること、感じること、任せること、委ねること…そうしたことが、「自立」から抜け出すヒントになります。
とはいえ、いきなりそれらを全部しようとしなくてもいいんです。
「全部できるようにしなきゃ!」とがんばろうとするのも、「自立」の癖です笑
「自立の自立」は、悪いことでも何でもありません。
まずは、そこまで頑張れたこと、「自立の自立」まで来れたことを、ねぎらうことから始めてみることが、大切なのでしょう。
大丈夫です。
「自立の自立」まで来れたのですから。
新しい世界の扉は、すぐそこにあります。
今日は、「自立」と「怒り」の関係について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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