「依存」は傷ついた女性性であり、「自立」は傷ついた男性性といわれます。
「相互依存」とは、それらを癒し、統合していくプロセスにあるのです。
1.残り半分の豊かさ
昨日の記事では、「自立」でできるのは半分まで、というテーマでお伝えしました。
自分で選んでいないもの、自分でしていないことにも価値を感じることができると、実に豊かな世界が見えてくる。 - 大嵜直人のブログ
私たちの心は、「依存」から「自立」、そして「相互依存」へと成長していきます。
「依存」は、私には何もできないので、誰かに何とかしてほしい状態。
それはしんどいので、なんでも自分一人でやろうとして、人は「自立」します。
「自立」すると、自分でできることが増える反面、一人きりでやろうとするので孤独や孤立、周囲との葛藤を抱えやすくなります。
自分でやること、自分がすることばかりに重きを置き過ぎることにもなります。
それゆえ、自分以外の人がしてくれたことや、無条件で与えられるものを、受けとりづらくなるわけですね。
「自分でやらないと、価値が無い!」とばかりに。
でも、自分ができること、することって、世界のほんの一部なわけです。
そこに価値を見るのはもちろんですが、与えられたものや、自分が選んでいないものにも、価値を見ることができると、もっと豊かに生きられるようになります。
それが、「自立」の先にある「相互依存」のステージです。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.傷ついた男性性と女性性
こうした「相互依存」の世界は、依存時代と自立時代の葛藤や傷が、癒えた先にあるものです。
よくいわれるのが、「依存」は「傷ついた女性性」とされます。
女性性とは、柔らかさ、ぬくもり、慈愛、包容力、感性、感情、受けとること、無邪気さや純粋さ、温かさ、つながりといった要素を指します。
それは女性だけにあるものではなく、すべての人のなかにあるものです。
「依存」とは、この女性性が傷ついて、悪い方向に出ているわけですね。
過度に感情に揺さぶられ、自分のことを自分で決められなかったり…悪い意味での「依存的」という語のイメージですよね。
この「傷ついた女性性」を癒すのには、その対になる男性性が必要になります。
「依存」を抜け出すには、自分の力でがんばる必要があるからです。
男性性とは、力強さ、忍耐強さ、決断力、持続力、知性や論理、こだわり、責任感といったものを指します。
これもまた、男性だけにあるものではなく、誰のなかにでもあるものです。
ただ、「依存」から抜け出すために使う男性性は、かりそめなんですよね。
なぜなら、「自立」は傷ついた男性性の時代といわれるように、そこで発揮される男性性は、一人きりだったり、自分のやり方にこだわり過ぎたりして、男性性の悪い面が出るものです。
だから、「自立」を癒すのは、(真の)女性性になります。
切れてしまったつながりを、取り戻す。
自分のこだわりよりも、大きな流れに委ねる。
豊かさを、受けとる。
そうしたイメージが、「自立」を癒していくのです。
ですから、「相互依存」とは女性性と男性性がバランスよく、その力を発揮できる状態といえるでしょうか。
どちらも癒されて、その力を発揮できる状態なわけですよね。
3.ふたつでひとつ
私たちは、こうした「依存」から「自立」、そして「相互依存」のプロセスのなかで、ふたつの対極を統合していくのかもしれません。
それは、先ほど書いた男性性と女性性という意味でも、そうなのでしょう。
与えることと、受けとることという意味でも、そうなのでしょう。
それらはいずれも、どちらかだけでは存在し得ないものです。
受けとる人がいてこそ、与えられるものですし、また、与える人がいるから、受けとれるわけですよね。
ふたつで、ひとつ。
それは、この世の中にあるものの多くが、そうなのかもしれません。
男と女。
昼と夜。
善と悪。
痛みと癒し。
目に見えるものと見えないもの。
そうしたものは、二つ対立しているように見えますが、決してそうではないですよね。
あくまで、ふたつでひとつであるもの。
私たちは、「相互依存」への成長プロセスを通じて、そんなことを学ぶことができるのでしょう。
今日は、「相互依存」の世界の豊かさ、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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