大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

皐月の忘れものを愛でる、芒種のころ。

梅雨の季節になりましたね。

天気予報には雲や傘のマークばかりの時期ですが、そんななかでも晴れ間が見えると、少し得をしたような気分になります。

時候は、「小満」から「芒種」に移るころです。

「芒(のぎ)」とは、麦や稲の穂先のとがった部分を指し、麦はこの時期に収穫を迎えるそうです。

「麦秋」という語は、秋の文字が入っているけれども、この季節を指すようです。

そんな水無月、芒種のころですが、いつもの道を歩いていると、まだ咲いているツツジを見かけました。

ひとつだけ、皐月の忘れもののように咲いていました。

ツツジというと、5月の連休のころのイメージが強いのですが、この美しい色を見ることができて、これもまた得したような心持ちになりました笑

それでも、もう名残のころでしょうか。

見納めかと思うと、少しでもこの艶やかな色を、楽しんでおきたいと思うものです。

さて、あらゆる生命が天地に満ち始めるという「小満」の次にくるのが「芒種」なのが、季節のめぐりの不思議なところです。

日の長さも最も長いころになり、すべてが満ち満ちるころ。

…なのですが、そこで出てくるのが「麦や稲の穂先」であり、その「種」であるというのが、なんとも不思議なものです。

季節の中では、夏至に近づいていく、最も生命力にあふれた時期ともいえるのでしょう。

それなのに、「芒」や「種」とは…?

もしかしたらそれは、頂点を迎える前に、種を撒いておきなさい、という意味なのかもしれません。

陰極まれば陽と成し、陽極まれば陰と成す。

ものごとは、常に反転のなかにあるようです。

さて、そんな「芒種」のころ。

梅雨も、その合間の晴れ間も。

いまだけのもの。

それを、愛でていたいと思うのです。