小さな傷ついた自分にかけたい言葉は、どんな言葉でしょうか。
それは、その小さな自分を癒すのみならず、誰かに与えられるあなたの才能の一端を示してくれるものです。
1.小さな傷ついた私
先日の記事では、小さな傷ついた私にかける言葉、というテーマでお伝えしました。
傷ついた小さな自分に、どんな言葉をかけたいだろう? - 大嵜直人のブログ
ときに私たちが感じる生きづらさのなかに、自己の分離があります。
本来の自分と、仮面をつけている自分の、分離。
そのギャップが大きくなればなるほど、しんどくなるわけですよね。
ほんとは、お姫さまのようにわがままで、甘えたい気質の私。
それを隠して、なんでも自分でこなせる私の仮面をずっとつけていると、できることは増えるのですが、息苦しさを感じてしまうものです。
こうした分離の原因として、自分がひどく傷ついた経験が挙げられます。
本来の自分で生きていたところ、何がしかのショックで傷つくような経験をしたことで、
「このままでは生きられない」
と、仮面をかぶるようになるわけです。
こうした経験は、自分と向き合うプロセスのなかでも、出てくることが多いものです。
そうした傷をどう癒していくか?という視点で、昨日の記事はお伝えしました。
端的には、
「そのできごとがあって、傷ついている小さな自分に、かけてあげる言葉をさがす」
「その言葉を、小さな自分にかけてあげる」
「できれば、いまの自分にも、同じ言葉をかけてあげる」
といった方法でした。
言ってみれば、その傷ついた小さな自分の「味方でいてあげる」、というイメージでしょうか。
2.その言葉のもつ力と意味
さて、そうした先日のテーマに続いて、今日はそこで出てきた言葉について、もう少し深堀してみたいと思います。
小さな傷ついた自分に、かけてあげたい言葉。
それはきっと、人によってさまざまでしょう。
「辛かったよね」と寄り添うような言葉が出てくる人もいれば、
「あなたなら大丈夫だよ」と信頼を贈る人もいれば、
「私が側にいるから、がんばって!」と応援をする人もいることでしょう。
そのどれもが、傷ついた人の心を温めることのできる、美しい言葉です。
それであればこそ、私たちはその傷ついた小さな自分を、癒していくことができるのでしょう。
ただ、それは「その人自身」を離れては、あまり意味のない言葉でもあります。
字面だけというか、同じ言葉を、違う人が言ったとしても、その言葉は力を持ちません。
それは、誰かに借りた言葉が、人の心を動かすことはないことと、同じです。
自分自身の経験を通じて、自分自身の心の傷と向き合い、そのなかで紡ぎだされた言葉。
だからこそ、その言葉は、力を持つのです。
で、今日の話の本題は、ここからです。
じゃあ、その言葉って、小さな傷ついた自分だけを癒すものでしょうか?
もちろん、昨日のテーマにもある通り、、その言葉を探すのは、分離してしまった自分を統合するためであり、自分自身を癒すためです。
しかし、そのなかで紡がれた言葉は、普遍的な力を持つのです。
少し表現を変えれば、
「そこまでして出てきた言葉が、自分だけしか癒せないわけなくない?」
「その言葉って、誰かも癒すこともできるんじゃないの?」
とという視点です。
これ、別に、「他者貢献」とかの視点で言ってるんじゃないんです。
むしろ、自分のために、そうした方がいいんです。
なぜか。
自分を癒すとは、自分のことだけでは半分で、残りの半分は、誰かに与えてこそ、癒されるからです。
だから、「小さな自分を癒す」という意味でも、その言葉の持つ力と、それを誰に向けるのか、という視点を持つことは、非常に大切なんですよね。
3.あなたに与えられなかったものは、あなたが与えらえるもの
このタイトルを読んで、どう感じますかね。
「は?何言ってんの?」と感じますでしょうか。
それとも、「うーん…でも…」と抵抗を覚えますでしょうか。
これ、心の世界のなかでも、最も残酷で、それでいて最も美しい原則の一つだと、私は思うんですよね。
だって、与えてもらえなかったものは、与えてほしいじゃないですか。ねぇ笑
それなのに、「いや、それは、あなたが与えるものだ」とされるわけですから、中指のひとつも立てたくなります笑
でも、これ、真実なんですよね。残念ながら笑
よくお伝えしている、「平和の天使はどこに生まれるか?」というお話があります。
平和をもたらす才能がある天使がいました。
この天使が、この世界に生まれてくることになりました。
さて、その天使は、どんな両親、どんな地域、国、時代を選んで生まれてくるでしょうか?
というお話です。
もとからなんの争いや不安のないところでしょうか。それとも。
たぶん、違うんですよね。
きっと、争いの絶えない、人々がいがみあっているところを選んで、生まれてくるんですよね。
だってそれが、その天使が最大限に才能を活かすことのできるところだから。
「与えてもらえなかったものは、与えるもの」とは、そういった意味です。
翻って考えるに。
小さな傷ついた自分に、かけてあげたい言葉。
それは、何かが与えられなかった自分に、自分自身が与えてあげている状態ともいえます。
それって…そうなんですよね。
長々と書いた、その天使の才能なんです。
「そんな才能があるんなら、なんで最初から使えるようになってないんだ!」
と思われるかもしれません。
私も、ずっとそう思っておりました笑
なので、いまでも明確にそれはよくわかりません笑
けれど、どうなんでしょうね。
その不自由さが、この世の醍醐味なのかもしれません。
だって、最初から全パラメーターがフルMAXの状態とか、仲間が全部そろっててみんなレベル99とか、SSSRのカードが全部そろってるゲームなら、やる気がおきないでしょう笑
私たちは、その不自由さの中で、痛みを知ります。
それを知ることで、私たちが与えられるものは明確になり、そして人を癒す力を帯びるのではないかな、と。
いまは、そんな風に考えています。
ということで、話が飛びまくりましたが。
小さな傷ついた自分にかけてあげたい言葉。
それは、その自分だけを癒すものでもなく、これから大切な人たちを癒し、温めていく言葉でもあるのです。
今日は、小さな傷ついた自分にかける言葉は、あなたが誰かに与えられる才能を示している、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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