人がなにがしかの「痛み」を感じるとき。
それは、そこに愛と才能があるからこそ、感じるものだったりします。
1.大切な人を愛せない、受け入れられない痛み
昨日の記事では、大切な人を愛せない痛み、というテーマでお伝えしました。
大切な人を愛せない、受け入れられない痛みについて。 - 大嵜直人のブログ
人は、誰かから愛されないと感じたとき、拒絶されたと感じたとき、痛みを感じます。
しかし、実はそれ以上に痛みを感じるのが、大切な人を愛せない、受けいられないと感じたときです。
相手のふるまいや言動、あるいは行動などを見て、「それは受け入れられない」と感じたときや、自分に余裕がなかったりしたとき、私たちはそれに申し訳なさというか、罪悪感を覚えます。
これが、しんどいんですよね。
罪悪感があると、自分を幸せから遠ざける選択をしてしまいがちになりますし、自分に何か罰を与えないといけないような、いつもそんな重苦しい気分になってしまいます。
しかし、相手のある部分を受けいられないということは、自分のなかにもあるその部分を「自分が」受け入れないことを示しています。
だから、自分を愛する、受け入れることで、この痛みを手放していくことができるのです。
2.なぜ、そこに痛みを感じるのか
今日は、昨日のテーマに続いて、この「痛み」というテーマ全般を考えてみたいと思います。
カウンセリングでも、さまざまな「痛み」について伺います。
それは、大切な存在を失った痛みだったり。
愛してもらえなかった悲しみだったり。
心を通い合わせられなかった苦しみだったり。
誰かを傷つけてしまった後悔だったり。
実にさまざまな「痛み」について伺います。
この「痛み」を和らげたり、癒していくことは、とても大切なことです。
ただ、別の方向からの視点として、なぜそこに「痛み」を感じるのか?という点は、非常に重要なテーマです。
ものすごく当たり前のことですが、「痛み」を感じるところって、誰でも同じではないんですよね。
ある人にとっては、ものすごく「痛み」を感じるところであっても、別の人にとってはさほど大したことではなかったり。
その逆も、然りですよね。
ある知人の方は、自宅の近くの街路樹が、再開発で切られてしまったことに、強い痛みを心に感じたそうです。
同じできごとがあっても、再開発で新しい施設ができることに、ワクワクを覚える人もいるでしょう。
どちらが正しいか、何が間違っているか、ということでもありません。
ただ、何に「痛み」を感じるのかは、その人の資質やパーソナリティと、非常に密接な関係があります。
3.痛みの裏には、愛と才能がある
「痛み」を感じるところには、その人の本質的な部分と深い関係があります。
言ってみれば、そこには愛があるからなんですよね。
何もないところには、「痛み」は感じないものです。
その相手を、愛していればこそ、「痛み」を感じます。
そこに愛があればこそ、「痛み」を覚えます。
その「痛み」は、愛の深さと、密接な関係があります。
そして、その愛の深さとは、才能と言い換えることができるのでしょう。
「痛み」とは、その人の愛と才能を確かに指し示すものといえます。
もし、なにがしかの大きな「痛み」を感じたとしたら。
それは、とても辛く、しんどいことではあります。
けれどもそれは同時に、あなたの愛と才能を、教えてくれているものでもあるのです。
「痛み」の裏には、大切にしたかったもの、守りたかったもの、笑顔にしたかったものがあるからです。
今日は、「痛み」の裏には、愛と才能がある、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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