大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「シャドウ」が生まれる物語を、愛の物語に変えていく。

「シャドウ」が生まれるには、それなりの物語があるものです。

それは悲しい物語から、愛の物語に変えていくことができるのです。

1.「シャドウ」が指し示す自分の可能性

昨日の記事では、「シャドウ」が指し示す自分の可能性、というテーマでお伝えしました。

「シャドウ」とは、自分の可能性を指し示してくれるもの。 - 大嵜直人のブログ

自分の周りでイヤな相手や、強く嫌悪感を覚える人のことを「シャドウ」と呼びます。

それは、自分自身が抑圧してきた部分や、隠してきた面、嫌ってきた資質を見せてくれる存在です。

「シャドウ」とは、生きられなかったもう一人の自分であり、それゆえに嫌悪感を激しく抱いてしまうものです。

「なんで、わたしはこんなに我慢してるのに、あなたは我慢せずにやっちゃうの?」

「わたしができなかったことを、さらっとやってて、ムカつく」

そんな感じでしょうか笑

こうした「シャドウ」は、私たちが抑えつけてきた要素を見せてくれるものであり、それはとりもなおさず、自分自身の可能性を見せてくれるものでもあります。

いままで、「赤が嫌い!」と、赤い色を使わずに絵を描いていたのを、「赤も使っていいんだー」となるような感じでしょうか。

なんとなく、可能性が広がる感じが、伝わるでしょうか。

「シャドウ」が見せてくれるのは、自分自身が隠してきた、抑圧してきた部分であり、「シャドウ」と向き合うことで、それらを取り戻して本来の自分に近づくことができるのです。

昨日の記事では、そんな「シャドウ」が見せてくれる可能性について、お伝えしました。

2.「シャドウ」が生まれるには物語がある

こうした「シャドウ」が生まれるには、あるできごとや経験、物語があります。

自分のなかのその要素や資質を、嫌うようになってしまったできごと、ですね。

これはもちろん、その人その人で異なるのですが、家族、特に親との関係性のなかで生まれることが多いものです。

本来は、活発で元気に笑う性格だったのに、躾が厳しい親だったため、「そんなに人前で笑うのははしたない」といつも怒られてきた。

そのため、キャッキャと快活な自分を抑圧し隠すようになり、穏やかでおっとりした振る舞いをするようになった。

けれど、周りで活発に笑っている人を見ると、ものすごくはしたないと感じるし、嫌悪感を覚える…

あるいは、お母さんが弱い人で、いつも何かの愚痴を言っていて、何かあると他人のせいにして怒っていた。

それを聞くのがたまらなくイヤで、自分は決して弱音や愚痴を吐かないようにしようとしてきた。

だから、誰かが弱音を吐いていたり、誰かのせいにしているのを見ると、ものすごく怒りを感じるくらい、イヤだ…

などなど、「シャドウ」が生まれるには、何がしかの物語があるものです。

「シャドウ」と向き合うなかでは、この自分自身の物語が、どんな物語なのか、それを掘り下げていくことは、とても大切なプロセスです。

3.その物語を「愛の物語」に変えていく

さて、こうした「シャドウ」が生まれることになった物語があったとして、それをどう扱っていくのがいいのでしょうか。

まず初めに大切なのは、誰かを悪者にしない、という点です。

先ほどの、躾が厳しい親だったり、弱い母親だったり、そうした相手を悪者にしてしまうと、自分の気持ちの整理はつきやすくなるかもしれませんが、その相手を責める罪悪感を抱えることになります。

これが、厄介なんですよね。

罪悪感があると、自分を幸せから遠ざけるようになりますし、ひっそりと隠れようとしてしまいますから。

その物語に出てくる人は、誰も悪くない。

あなたも悪くないし、わたしも悪くない。

それを肚落ちさせるのが、最初の大切なプロセスです。

そのためには、相手を感情的に理解することが、とても重要になります。

その物語の中で、相手はどんな感情だったのか。

どんなことを感じていたのか。

そうしたところに、自分の心のセンサーを差し向けてみること。

すると、「まあ、そうするのも仕方ないかな」という理解ができるようになります。

これができると、相手を悪者にしなくて済むんですよね。

それができると、物語がだいぶ変わって見えてきます。

誰も、誰かを傷つけようとしたわけじゃないし、そうするほかなかった。

そして、自分がその「シャドウ」の要素を嫌い、抑圧してしまったのも、誰かを想って、誰かを愛するためにしてきたことだった。

先ほどの話で言えば、躾の厳しい親に、喜んでもらいたかった。あるいは、弱い母親を、どうしても助けたかった。

そうした想いから、自分のある部分や要素を嫌い、抑圧してしまっただけ。

それは、しんどことだったかもしれませんが、その相手を想ってしてきたことではないのでしょうか。

言ってみれば、「シャドウ」が生まれる物語を、愛の物語に書き換えていくこと。

それが、「シャドウ」と向き合う中での、終着点なのでしょう。

今日は、「シャドウ」とは、自分の可能性を指し示してくれるもの、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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