対等ではない関係性は、やがて疲弊してしまいます。
対等であるとは、相手を尊重することであり、それは自分自身を愛することから生まれるものです。
1.自分が安心してこそのコミュニケーション
先日は、自分自身が安心してこそ、相手との関係性を築いていける、というテーマでお伝えしました。
自分自身が安心してこそ、相手との関係性を築いていける。 - 大嵜直人のブログ
他人とのコミュニケーションや関係性を考えるとき、私たちは相手のことを先に考えてしまうことがあります。
相手の反応や、相手がどう言うか、何を考えているかが気になってしまう。
けれども、相手との関係性においては、自分自身としっかりとつながり、あんしんできていることが、まず第一に大切なことです。
キャッチボールをするにしても、まずは自分の足元を固めてからでないと、相手に良いボールを投げられないし、相手からのボールも受け取れない、といったようなイメージでしょうか。
この「足元を固める」ことが、自分自身とつながること、自分の感情とつながっていること、自分を肯定していること、自分を愛することだったりします。
そこがグラグラしていると、相手とのコミュニケーションのなかで癒着や犠牲といった問題を抱えたり、対等な関係性を築けなかったりします。
まずは、自分。
自分がどう思うのか、どう感じるのか。
相手との関係性を考えるときは、まず最初に自分が安心した状態で、自分を受け入れることができているか。
そこが出発点になります。
2.対等でない関係性は、やがて疲弊する
この「まず自分自身の足元を固める」ことができていないと、なかなか相手と対等な関係性を築くことが難しくなります。
必要以上に、自分自身をへりくだって相手に接してしまったり、あるいはその逆に、自分を大きく見せようとしてしまったり。
どちらかが上で、どちらかが下のような上下関係もそうですし、どちらかがずっと我慢しなくてはいけなかったり、といったように「役割」を演じてしまう関係性もまた同じです。
こうした対等でない関係性というのは、なかなか長続きしないものです。
どちらかが疲れてしまい、関係性を壊してしまう。
どちらかがずっと我慢してきて、ある日それが限界を迎えてしまい、「もう無理」とばかりに離れようとしたり。
パートナーシップでも、よくありますよね。
対等でない関係性というのはいびつで、長続きしないものです。
3.対等とは、お互いが同じ立場を経験するということ
ここでいう対等とは、教師と生徒との関係性でも成り立つものです。
対等な関係性の教師と生徒はいるでしょうし、その反対もまた、然りです。
では、その対等な立場とは、具体的には何か?ということでいえば、一つには同じ立場を経験する、ということが言えます。
教師と生徒の例で言えば、教師の側が「教える」という役割だけに固執してしまうと、その関係性は難しくなります。
教師もまた、生徒から「教わる」というスタンスでいると、その関係性は時を重ねるごとに深く、お互いにとって素晴らしいものになっていくのでしょう。
そのカギになるのは、やはり相手を尊重することであり、それは結局のところ、自分自身をどれだけ受け入れ、愛することができているか?ということと同じです。
自分を愛した分だけ、それを相手に投影し、相手を尊重しリスペクトすることができるようになるわけですから。
パートナーシップでも、同じですよね。
リーダーシップを取る自立の立場の人と、それについていく依存の立場の人。
それが固定化すると、関係性は枯れていきます。
その自立と依存のポジションを入れ替えながら、お互いの立場とその心理を深く理解できるようになると、その関係性はとても深いものになっていきます。
パートナーシップにせよ、他の関係性にせよ、対等であることが、その関係性にとってとても大切なことなのです。

今日は、自分自身が安心してこそ、相手との関係性を築いていける、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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