3月3日、桃の節句。
そのよき日に、熱田神宮を訪れることができました。
節気は、「雨水」も終わりに近づき、もうすぐ「啓蟄」のころ。
少しずつ、少しずつ、春の気配が感じられるようになってきました。
七十二候では、「草木萌動/そうもくめばえいずる」。
その文字の通り、草木が新しく芽生え、春の訪れを感じるころ。
美しい名前の、私の好きな時候のひとつです。
草木が芽吹き、梅の花などが咲き、春へと季節の移り変わりを感じます。
駐車場に車を停めて降りると、ねこさんがお出迎え。
おはようございます、ねこさん。
境内をのさのさと歩いては、いけませんよ。
このねこさんのせいか、この日は境内で鳥さんにお会いすることはできませんでした。ざんねん。
そういえば、熱田さんで初めて見かけた、ねこさんかもしれません。
ほんとうに、朝の陽光の色が、変わってきました。
早朝の神社の、うっすらと淡い靄がかかったような、そんなやわらかな光が、あたりを包んでいました。
写真だとわかりづらいのですが、伝わりますでしょうか…?
光と、空気の芸術。
この空気感や雰囲気が好きで、神社を訪れるのかもしれません。
境内の「太郎庵椿」も、ひっそりと咲いていました。
ピンク色が、美しく。
桃はありませんが、なんとなくこれで桃の節句のような気分になれました。
この明るさが、もう春が来たと実感させてくれます。
先月は、まだまだ凛とした寒さの中にあった気がするのですが、それはもう感じられず、少し寂しくも感じたり。
暑さよりも寒さの方が苦手なので、春が来るのはありがたいのですが。
人の情というのは、かくも勝手なものです。
この日は、思ったよりも参拝客が少なかったです。
静かに参道を歩き、手を合わせることができました。
にぎやかな境内もいいですが、こころ静かに玉砂利の音に耳を澄ませる時間も、いいものです。
すぐに「何かをしないと」、「どこかへ行かないと」、「何かにならないと」というように、空間や時間を埋めて、忙しくしたくなる私ですが、意識的にこういう時間を持つようにしたいものです。
歩いていると、いろんなことが浮かんでは、消えていきます。
ただ、そのままにしておけばいいのでしょう。
どこへも行かなくても、何もしなくても、誰かにならなくても、そのままでいい。
ただ、そのままに、流れるままに。
陽光が、榊を照らしていました。
光の織りなす芸術を、私はしばし眺めていました。