毎週末のようにやってくる台風の進路を気にしながら、朝4時前に自宅を出た。
秋分を過ぎた時分の、寅の刻。
あたりはまだ真っ暗闇に包まれていたが、幸いにも雨は降っていなかった。
さすがにこの時間は、走っている車もほとんどない。
するすると高速に滑り込んだ。
半年ぶりに、宮津を訪れる。
5月、息子と植えた苗は、大きく育っているだろうか。
棚田の風景を想いながら、コーヒーを口に含む。
県を二つまたいでも、まだ東の空が白むことはなかった。
2018年の5月、飯尾醸造さんの田植え体験会を訪れた。
あれは、何年ぶりだっただろうか。
当時の私はといえば、自立の極みから少しだけ抜けだそうとして、もがいていた。
自分とは何で、どこへ行くのか。
そんなあてもない問いを繰り返しながら、ようやく両親の死とも向き合いはじめていた。
そして、ライフワークを探していた。
自分の価値を示すいくつかの言葉に出会いながら、ほんとうにそうだろうかと、受けとることができずに悶々としていた。
いろんな出会いがあり、そのおかげでなんとかかんとか、やっていた気もする。
自分とは、何か。
自分のアイデンティティを問うなかで、自分のキーストーンになる場所を訪れた。
いつかの遠足で登った山。
記憶の中にあった、蝶の博物館。
いつか母親と訪れた公園。
あるいは、父と応援に声を枯らした球場…
宮津の棚田は、そんな場所の一つだったのだろう。
飯尾醸造さんとは、前の仕事のなかでご縁をいただいた。
当時、飯尾醸造さんが田植え体験会を始めたと聞き、仕事の先輩と棚田を訪れた。
そこから毎年の恒例行事のように、棚田を訪れては、カエルやバッタに癒されてきた。
生活環境が変わる中で、いつしか足が遠のいてしまっていたが、再訪したのが上述の2018年だった。
米原を過ぎたあたりで、ようやく東の空が白みはじめた。
なぜ、宮津に惹かれるのだろう。
ハードワークに枯れた私に、癒しと潤いを与えてくれるのは、なぜだろう。
そんなことを想いながら、北陸道を走った。
予定よりも早く着きすぎたため、通り道の元伊勢籠神社にお参りを。
台風もあって、不安定な天気予報が続いていたが、どうやら雨は降らないらしい。
またここに来られたことへの御礼に、手を合わせる。
上世屋の集合場所に着くと、百日紅の赤が出迎えてくれた。
また、ここに来れたんだと感慨深くなる。
受付をして、しばしぼんやりとその風景を眺めている。
感染症禍や台風などもあり、3年ぶり稲刈り体験会開催に、全国から富士酢ファンが続々と集まってくる。
どんよりとした雲が覆っていた空は、いつしか青空も覗くようになっていた。
現場に着くと、黄金色の稲が、美しく実っていた。
米作り担当の伊藤さんから、稲刈りの手順の説明を受ける。
結束用の藁を腰ひもに結び、鎌を手に棚田に入る。
チチチ、という羽音とともに、バッタが飛んでいった。
頭を垂れる、美しき稲穂。
遥か昔から、私たちの祖先が連綿と受け継いできた、稲作という文化。
その歴史の縦軸の切っ先に、この稲穂もあるのだろう。
「お米には、一粒一粒に神さまが宿るんだよ」
そんな話を聞かせてくれたのは、祖父だったか、それとも祖母だったか。
この実った稲を見ていると、確かに畏敬の念を抱いてしまうものだ。
どんくさい私のこと、手を切らないように慎重に稲を刈っていく。
手でつかめるくらいの束を二つ作って、藁で結束する。
結束が緩いと、乾燥させるときに稲が抜けてしまうそうなので、ぎゅぎゅぎゅーっと力いっぱい締める。
一つ作って、また稲を刈りに。
また一つ作って、また刈りに。
無心で刈っているうちに、運動不足の腰は、すぐに悲鳴を上げた。
周りを見遣ると、豊かに実った稲を前に、参加者の皆さまの笑顔が見える。
腰を伸ばして、秋の空を見上げる。
青空どころか、日差しまで出てきて、気持ちのいい秋晴れになってくれた。
少し夏の面影を思い出すような、そんな日差しだった。
「都会には情報量が少ない」とは、山口周さんの言葉だったか。
曰く、都会とは人間の脳内にある情報を具現化した現実なので、その本質において画一的にならざるをえない、といった文脈だったように覚えている。
確かに、無機質なコンクリートに囲まれていると、四季を忘れるような単調な生活の繰り返しになりがちなのかもしれない。
それにひきかえ、この棚田の情報量の豊かなことといったら。
目に映る稲は、一つとして同じものはない。
一歩足を踏みだすと、バッタや小さな虫たちが飛んでいく。
吹く風は、秋の色をなしていて。
稲穂が揺れる音、小川のせせらぎの音…
どれをとっても、同じものはなく。
その音、風、匂い、光の海原に身を委ねているのが、心地よい。
お昼休憩では、近くのペンションのお弁当を。
陽の下で身体を動かした後のこと、たまらなく美味しい。
一つ一つの食材が、滋味に満ちているようだ。
吹く風に秋を感じながら、ことさらに豊かな時間だった。
午後も、引き続き稲刈りを。
刈って、縛って、また刈って。
刈った稲は、このように天日に一週間ほど干していくそうだ。
美しき棚田の空気をいっぱいに吸ったお米が、あの富士酢になる。
静置発酵で、1年の長い時間をかけて、ゆっくり、ゆっくりと宮津の四季をめぐりながら。
そうしてようやく、あの富士酢の味わいになる。
富士酢とは、なんと豊かな調味料か。
びっしりと並んで干された稲を眺めながら、富士酢があるこの世界の豊かさを想う。
刈って、縛って、また刈って。
額に汗をしながら、それを繰り返す。
赤トンボが、二匹連なって飛んでいた。
見上げれば、いくつものペアが同じように連なって飛んでいた。
この地で、連綿と繰り返されてきた、いのちのめぐり。
どれくらい長い時間、それは繰り返されてきたのだろうか。
この刈り取った稲もまた、いのちを紡ぐお酢になる。
その豊かさを想い、残り少なくなった稲を、私はまた刈っていった。
飯尾醸造の皆さま、今回も大変お世話になりました。
美しい棚田に、癒されました。ありがとうございました。