豊かさをめぐる秋分の丹後路2 ~元伊勢籠神社・眞名井神社 参拝記
元伊勢籠神社の参拝を終えて、また車を走らせる。
いつのまにか陽はずいぶんと高く昇り、車窓から差し込む光に熱を帯びる。
どこか、夏が忘れものを取りに来たような、そんな日差しの強さだった。
与謝天橋立インターから乗って、高速を南へ。
目に映るは、丹波の国のうっそうとした木々の緑。
思い出されるのは、大江山の酒呑童子の伝説だ。
中世において、最も恐れられた妖怪のひとつとされる、酒呑童子。
この大江山に棲んでいた鬼の棟梁であり、京の都の荒らし女性や財宝を奪っていたが、勅命により討伐に出た源頼光と藤原保昌が、神仏の力を借りて退治したと伝えられる。
なぜ、中世最強ともいわれる鬼が、この地に棲みついたのか。
京の都で暴れまわるようになったのは、なぜか。
先に元伊勢籠神社を訪れたが、なぜ、天照大神がこの地に遷られたことがあったのか。
神も、鬼も。
正も、邪も。
どちらの極も惹きつける何かが、この地にあるのだろうか。
それとも、もともとこの地に、そうした「何か」があったのだろうか。
そんなことを想いながら、舞鶴大江インターを降りる。
インターを降りて、下道をしばらく走らせて、目的地にたどり着いた。
元伊勢外宮豊受神社。
丹後の国に下った豊受大神を祀った神社で、その後、現在の伊勢神宮の外宮に豊受大神は遷られたことから、伊勢神宮外宮の本宮とされるそうだ。
この丹後の国に伝わる元伊勢伝説をめぐる旅。
駐車場に車を停めて降りると、強い日差しがこちらをのぞいていた。
生きることに欠かせない、衣食住、あるいは五穀豊穣を司る、豊受大神。
豊かさをめぐる旅が、こうして好天に恵まれるのは、ありがたい限りだ。
かなり急な石段を登る。
108段あると聞き、数えてみようとしたが、すぐに息が上がって数えるのをやめた。
転ばないように、手すりを持ちながら。
途中、参拝を終えたと思わしき方とすれ違う。
なぜ、神社では人はいい顔になるのだろう。
神社に足が向くようになったのは、何年前だったか。
自分の力ではどうしようもない。
そんな心境になったとき、人は祈るのだろう。
神社を訪れ、玉砂利の参道を歩き、目を閉じて手をあわせているとき、私は何者にもならなくてもよかった。
ただ何も考えず、境内の空気に触れ、木々のざわめきのような音に耳を傾けているだけでよかった。
ただ、訪れる神社それぞれに、違った空気があり、違った音があった。
だからだろうか。
地元の神社を訪れるのと同じように、旅先でも神社を訪れるようになった。
旅先の居酒屋で、その土地の匂いを感じるように、その土地の神社で、その地の風を感じられるような気がする。
どの神社にも縁起があり、それを読んでは、遥か昔の時代に想いを馳せることができる。
その土地に歴史があり、その神社を護ってきた方たちがいてこそ、今日訪れることができる。
その奇跡に、想いを寄せる。
積み重ねられたものには、やはり意味がある。
石段を登ると、ひっそりとした静寂の中に、鳥居が見えた。
とても静かな、心地よい空気が流れていた。
黒木鳥居という、珍しい鳥居。
樹皮のついたままの丸太材をもって組み合わされた鳥居で、日本最古の鳥居の形式とのこと。
たしかに、木の皮がついたままの鳥居は、ほとんど見たことがない気がする。
一礼して、境内へ。
拝殿を正面に見ながら。
青空と、鳥の声。
静かな時間。
これ以上ない、豊かさなのかもしれない。
本殿を取り巻くように、たくさんの末社が。
どれも古く、歴史の積み重なりを感じさせる。
地元の方と思わしき方が、別宮を清掃されていた。
ご挨拶をして、参拝を。
本殿の奥には、見事な桧と杉の木が。
右手前に見えるのが、「龍登の桧」。
竜神が螺旋を描き
天へと駆け登るように
そそり立つ御神木
とご由緒書きが。
左奥に見えるのが、「龍燈の杉」。
こちらは、
節分の深夜、龍神が燈火を献ずると言い伝えられている。
樹齢千五百年を超える御神木。
とあった。
樹齢1500年。
途方もない時間の流れを想いながら、境内を歩く。
心地の良い晴天。
「龍登の桧」とともに。
豊受大神が祀られているこの地は、やはり豊かなのだろう。
ゆっくりとした時間。
少し腰かけて、深呼吸を。
石段の頂上から。
遥か昔、この景色を豊受大神もご覧になっていたのだろうか。
どこか日本の原初風景のような、そんな景色を眺めながら、石段をゆっくりと降りた。
心地よい風が、吹いていた。