大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

豊かさをめぐる秋分の丹後路3 ~元伊勢外宮豊受神社 参拝記

豊かさをめぐる秋分の丹後路1 ~飯尾醸造さんの稲刈り体験会

豊かさをめぐる秋分の丹後路2 ~元伊勢籠神社・眞名井神社 参拝記

豊かさをめぐる秋分の丹後路3 ~元伊勢外宮豊受神社 参拝記


 

元伊勢籠神社の参拝を終えて、また車を走らせる。

いつのまにか陽はずいぶんと高く昇り、車窓から差し込む光に熱を帯びる。

どこか、夏が忘れものを取りに来たような、そんな日差しの強さだった。

与謝天橋立インターから乗って、高速を南へ。

目に映るは、丹波の国のうっそうとした木々の緑。

 

思い出されるのは、大江山の酒呑童子の伝説だ。

中世において、最も恐れられた妖怪のひとつとされる、酒呑童子。

この大江山に棲んでいた鬼の棟梁であり、京の都の荒らし女性や財宝を奪っていたが、勅命により討伐に出た源頼光と藤原保昌が、神仏の力を借りて退治したと伝えられる。

なぜ、中世最強ともいわれる鬼が、この地に棲みついたのか。

京の都で暴れまわるようになったのは、なぜか。

先に元伊勢籠神社を訪れたが、なぜ、天照大神がこの地に遷られたことがあったのか。

神も、鬼も。

正も、邪も。

どちらの極も惹きつける何かが、この地にあるのだろうか。

それとも、もともとこの地に、そうした「何か」があったのだろうか。

そんなことを想いながら、舞鶴大江インターを降りる。

 

インターを降りて、下道をしばらく走らせて、目的地にたどり着いた。

元伊勢外宮豊受神社。

丹後の国に下った豊受大神を祀った神社で、その後、現在の伊勢神宮の外宮に豊受大神は遷られたことから、伊勢神宮外宮の本宮とされるそうだ。

この丹後の国に伝わる元伊勢伝説をめぐる旅。

駐車場に車を停めて降りると、強い日差しがこちらをのぞいていた。

生きることに欠かせない、衣食住、あるいは五穀豊穣を司る、豊受大神。

豊かさをめぐる旅が、こうして好天に恵まれるのは、ありがたい限りだ。

かなり急な石段を登る。

108段あると聞き、数えてみようとしたが、すぐに息が上がって数えるのをやめた。

転ばないように、手すりを持ちながら。

途中、参拝を終えたと思わしき方とすれ違う。

なぜ、神社では人はいい顔になるのだろう。

 

神社に足が向くようになったのは、何年前だったか。

自分の力ではどうしようもない。

そんな心境になったとき、人は祈るのだろう。

神社を訪れ、玉砂利の参道を歩き、目を閉じて手をあわせているとき、私は何者にもならなくてもよかった。

ただ何も考えず、境内の空気に触れ、木々のざわめきのような音に耳を傾けているだけでよかった。

ただ、訪れる神社それぞれに、違った空気があり、違った音があった。

だからだろうか。

地元の神社を訪れるのと同じように、旅先でも神社を訪れるようになった。

旅先の居酒屋で、その土地の匂いを感じるように、その土地の神社で、その地の風を感じられるような気がする。

どの神社にも縁起があり、それを読んでは、遥か昔の時代に想いを馳せることができる。

その土地に歴史があり、その神社を護ってきた方たちがいてこそ、今日訪れることができる。

その奇跡に、想いを寄せる。

積み重ねられたものには、やはり意味がある。

石段を登ると、ひっそりとした静寂の中に、鳥居が見えた。

とても静かな、心地よい空気が流れていた。

黒木鳥居という、珍しい鳥居。

樹皮のついたままの丸太材をもって組み合わされた鳥居で、日本最古の鳥居の形式とのこと。

たしかに、木の皮がついたままの鳥居は、ほとんど見たことがない気がする。

一礼して、境内へ。

拝殿を正面に見ながら。

青空と、鳥の声。

静かな時間。

これ以上ない、豊かさなのかもしれない。

本殿を取り巻くように、たくさんの末社が。

どれも古く、歴史の積み重なりを感じさせる。

地元の方と思わしき方が、別宮を清掃されていた。

ご挨拶をして、参拝を。

本殿の奥には、見事な桧と杉の木が。

右手前に見えるのが、「龍登の桧」。

竜神が螺旋を描き
天へと駆け登るように
そそり立つ御神木

とご由緒書きが。

左奥に見えるのが、「龍燈の杉」。

こちらは、

節分の深夜、龍神が燈火を献ずると言い伝えられている。

樹齢千五百年を超える御神木。

とあった。

樹齢1500年。

途方もない時間の流れを想いながら、境内を歩く。

心地の良い晴天。

「龍登の桧」とともに。

豊受大神が祀られているこの地は、やはり豊かなのだろう。

ゆっくりとした時間。

少し腰かけて、深呼吸を。

石段の頂上から。

遥か昔、この景色を豊受大神もご覧になっていたのだろうか。

どこか日本の原初風景のような、そんな景色を眺めながら、石段をゆっくりと降りた。

心地よい風が、吹いていた。