相手を責めたくなるとき、それは自分のなかの価値観が揺らぐときであり、特に「正しさ」が揺さぶられるときです。
それは、自分のなかの傷を癒すタイミングを教えてくれるものでもあります。
1.相手を責める矢は、罪悪感となって自分に戻ってくる
昨日は、相手を責める矢は、罪悪感となって自分に戻ってくる、というテーマでお伝えしました。
相手を責めるその矢は、自分に戻ってくる。 - 大嵜直人のブログ
相手の言動を責めたくなったり、ダメ出ししたくなるときって、ありますよね。
「こんなことするのは、ひどい人だ」とか。
「あんなことを言うなんて、人としてどうかと思う」とか。
はい、誰でもありますよね笑
そう感じるときは、自分の中の価値観、特に正しいと思っていることが揺さぶられているタイミングといえます。
もちろん、そう感じること自体が悪いとか、そういうわけではありませんが、相手を責め続けていると、その責める矢は自分自身に戻ってきます。
具体的には、相手を責めることで、罪悪感を抱えてしまうことになります。
これは、相手に直接言葉にしなくても、自分の中で相手を責めていると、同じなんです。
そして、罪悪感を抱えていると、自分を幸せから遠ざけるようになりますし、どうしても相手とも親密になることが難しくなります。
相手を責めることは、自分自身の幸せのためにもよくないのです。
だからこそ、相手の状況を感情的に理解していくことが、大切なことになります。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.相手を責めたくなるのは、正しさが揺さぶられるから
さて、今日は少し目線を変えて、そもそも相手を責めたくなるのは、なぜだろう?というテーマを考えてみたいと思います。
先に結論から書いてしまうと、相手の言動が、自分の価値観、特に「正しいと思っていること」を揺さぶるからです。
たとえば、「忙しくて、もう10年以上も実家に帰ってないんだー」と、あっけらかんと話す人の話を聞いて。
「それは、人としておかしい。親に対してどういうつもりなんだろう」と、相手を責めたくなったとしたら。
それは、「実家にはこまめに顔を見せるべき、育ててくれた親には恩を返すのが当たり前」という価値観があるからかもしれません。
そして、その価値観から外れている人を見ると、自分が価値感や、いままでしてきたことが揺さぶられるわけです。
「え?なに?そんなことしていいの?」
「いや、なんかそれ、ずるいでしょ」
「私だって忙しいけれど、ちゃんと帰ってるのに」
といった感じでしょうか。
言ってみれば、それは自分の価値観を守るための防衛本能のようなものといえるかもしれません。
ただ、こうしたときの正しさというのは、実に曖昧です。
前者の人は、「顔を見せなくても、仕事で成果を出すことこそが、最高の親孝行」という正しさを持っているかもしれません。
それと、「実家にはこまめに顔を出しておくべき」という正しさの、どちらが正しいかは、判断がつかないですよね。
それは、価値観の違いとしかいいようがないのでしょう。
けれども、そこに相手を責めたくなるのであれば、その正しさの裏側には、なんらかの傷や痛みがあります。
3.正しさの裏側には、痛みがある
私たちの価値観、とくに「正しさ」の裏側には、痛みがあります。
「こうしないといけない」
「〇〇するべき」
みたいな部分ですよね。
「実家にはこまめに顔を出すべき」という価値観の裏側には、なんらかの痛みがあり、癒すべき傷がある、という見方です。
それは、過去の親との関係かもしれませんし、なんらかのできごとで刻まれた傷なのかもしれません。
もちろん、そうした傷があること自体は、悪いことでも何でもありません。
ただ、それを「あぁ、ここに傷があるんだな」と認識をすること、そしてそれを癒していくことができると知るだけで、いいんですよね。
そういった意味では、相手を責めたくなってしまうときは、自分のなかの傷がうずく時であり、自分を癒していくタイミングを教えてくれるものなのでしょう。

今日は、相手を責めたくなるのは、自分のなかの「正しさ」が揺さぶられるから、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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