私たちは自立していく中で、自分の「弱さ」を隠し、他人に見られないようにします。
その「弱さ」とは、私たち自身が嫌っているものであり、それを嫌うようになるには、何らかのできごとがあったとみることができます。
1.「正しさ」は弱さの隠れみの
昨日の記事では、「正しさ」は弱さの隠れみの、というテーマでお伝えしました。
自分の弱さを隠したい人ほど、「正しさ」にこだわるもの。 - 大嵜直人のブログ
私たちの心は、依存から自立へと成長していきます。
自分では何もできず、誰かになんとかしてもらうほかない状態。
それは主導権がなくてしんどいので、私たちはなんでも自分でやろうとしていきます。
これが、自立ですね。
自立していくプロセスの中で、私たちは自分のやり方や判断基準を確立していきます。
自分のなかのルール、基準、観念とよばれるものですね。
これらを総合して「正しさ」と呼んだりしますが、自立が深まるにつれて、この「正しさ」へのこだわりもまた強くなっていきます。
あまりに強すぎると、どうしても周りの人との衝突を生んだりするので、徐々に手放していくことが望ましいのですが、これが難しいんですよね。
何が難しいって、この「正しさ」は、自分の弱さを隠すための隠れ蓑になってしまっていることが多いからです。
自立している人ほど、自分の弱さ(ひいては周りの人の弱さ)を嫌います。
自分が正しい側にいられれば、誰かから責められることもないし、相手は間違っていると主張できる。
けれど、それは周りの人との関係性にとっては、あまりいい影響を与えないわけです。
だから、自分の弱さを受け入れて、「正しさ」を手放していくことができれば、周りの人との関係性もまた親密に変えていくことができるともいえます。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.「弱さ」の定義
今日は、この「正しさ」で守っている「弱さ」について、もう少し考えてみたいと思います。
「弱さ」といっても、いろいろありますよね。
万年最下位の、弱いチーム。
握力が、弱い。
気弱で、自分の考えが主張できない。
…などなど、いろんな弱さがありますよね。
そのなかで、今日の記事の意味での「弱さ」とは、私たち自身が自立していく中で隠すようになった部分であり、自分でもあまり見たくないし、また他人にも見せたくない部分、という定義ができます。
だから、「涙もろくて、弱弱しい」という資質の人がいたとしても、それが今日の記事の意味でいう「弱さ」になるはは、その人次第といえます。
「私は涙もろいし、あんまり強くもないしなぁ」と、その資質をフラットに受け入れている人は、今日の意味での「弱さ」ではありません。
一方で、「絶対に、涙もろいところなんて、人前で見せてはいけない」と思っている人にとっては、それは「弱さ」であるといえます。
それは、きっと自立していく中で、必死に隠してきたものなのでしょう。
自分でも「涙もろい、弱い」という部分を嫌っているから、その部分を見たくもないし、他人に見せるなんてもってのほかです。
特に、家族やパートナーといった、距離間が近いはずの人に対して、見られたくないという状態になることもあります。
この意味での「弱さ」とは、自分自身がその資質をどう扱っているか?が密接に関係しているといえます。
その資質を、受け入れているのか。
それとも、蛇蝎のごとく毛嫌いして、否定しているのか。
もちろん、後者の場合に「弱さ」になるのでしょう。
3.「弱さ」とは、痛みの記憶
それは、「自己否定」「自己肯定」という言葉に集約されるのですが、ここでもう少し、踏み込んでみたいと思います。
その毛嫌いしている部分って、いつからそうなのでしょうか?
たとえば、あなたがその「涙もろいし、弱弱しい」という部分を「弱さ」として扱っているとしたら、あなたはいつからその資質を否定したのでしょうか?
これは、自分のなかの「弱さ」、ひいては「正しさ」と結びつく、非常にコアな問いかけであり、時間をかけて考えてみる価値のある問いだと思います。
「正しさ」とは、ある意味でその人の価値観、アイデンティティと密接に結びついていることが多いでしょうから。
もちろん、その「弱さ」を嫌うようになったきっかけは、人それぞれです。
ただ、一つ共通して言えるのは、そのきっかけは「傷ついた経験」からくる場合が多い、ということです。
少し表現を変えるなら、その資質を嫌うようになったイヤなできごとがあった、ともいえるのでしょう。
誰か(特に自分の大切な人)から、その資質を否定された。
そんな資質は直さないとダメだよ、嫌われちゃうよ、と教えられた。
その資質を持っていたがゆえに、大切な人が悲しんだり、傷ついたりした。
いろんなケースがあるかと思います。
ただ、なんらかのできごとがあり、それによってその資質を「弱さ」として否定し、隠していくようになったことは、非常に多くみられるものです。
自分のなかの「弱さ」と向き合うとき、それを「弱さ」にしてしまったのは、なぜなのか、どんな経験からなのか。
それは、非常に重要な意味を持ちますし、その経験からの傷を癒していくことが、大切なプロセスになるのです。

今日は、自立の人が隠したがる「弱さ」とは、痛みの記憶、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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