大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

判断の基準は、心の痛みがつくるもの。

「いい」「悪い」の何らかの判断をするとき、私たちの心のなかには基準があります。

その基準は、過去のできごとからくる心の痛みがつくっていることが多いものです。

1.判断よりも、感情的理解を

昨日の記事では、判断よりも感情的理解を、というテーマでお伝えしました。

必要なのは、判断ではなく感情的理解。 - 大嵜直人のブログ

誰でも、してはいけない、しない方がいいと分かっていても、それをしてしまうことがあります。

深夜のお菓子だったり、「あと一杯だけ」のお酒だったり笑

心の問題でも、同じようなことがあるものです。

感情を我慢してしまう癖だったり、あるいは、犠牲や癒着といった問題だったり、他人を頼れない自立しすぎの問題だったり。

こうした事象が起こると、どうしても私たちは「犠牲はよくない」とか、「感情を溜め込むのは悪いこと」といったように、何がしかの判断をしてしまうものです。

いい、悪いといった基準をもとに、見てしまうとも言えるでしょうか。

ただ、ものごとを判断する見方をすることよりも、「なぜ、そうせざるを得なかったのか」「そのときに、どんなことを感じていたのか」といったことに目を向けることで、少し違った風景が見えてきたりするものです。

これは、自分の周りの人に対してもそうですし、自分自身に対しても同じなんですよね。

「そんな状況だったら、それもしょうがないよね」

と、感情的に共感することで、見えてくるものが変わってきます。

昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。

2.判断とは、正しさに依ること

さて、今日はこの「判断」について、もう少し見ていきたいと思います。

「なぜ、いい・悪いの判断をしてしまうのか?」といった見方ですね。

人が何がしかの判断をするとき、そこには基準があります。

「いい」か、「悪い」か。

「よいこと」なのか、「ダメなこと」なのか。

「正しい」のか、「間違っている」のか。

その基準、ものさしに従って、起こっているものごとを見たり、あるいは目の前の人であったり、その人の言動を見ようとします。

50cmという物差しがあって、それ未満ならば、悪いこと。それ以上ならば、いいこと。

そんな風に、見えている世界を切り分けてしまうのが、判断であるといえます。

そして、判断する以上、そのなかの「正しさ」や「いいこと」でないといけない、という心理があります。

言ってみれば、判断とは、正しさに依ること、と言い換えることもできそうです。

なんらかの「正しさ」があり、それに依ること、おもねること。

それが、判断といえそうです。

そして、その「正しさ」や「よいこと」の基準になるものさしがあるわけです。

このものさしが、万国共通ならば、何の問題も起きないのかもしれません。

けれども、国の違いどころか、自分の身近にいる人たちとでさえ、この基準は微妙に違うんですよね。

パートナーシップにおいても、この基準の違いが、心のすれ違いを生むことが、少なくありません。

この基準のどれが正しいか、ということが問題なのではありません。

「私が正しい」となった場合、必然的に「相手は間違っている」ことになります。

「あなたは、間違っているんだ」と言われる相手と、仲良くしたいと思うでしょうか。

あまり、思えませんよね。

判断とは正しさに依ること、と先ほど書きましたが、判断を大事にしていると、どうしても周りの人との関係性は損なわれるようです。

なので、昨日の記事のテーマの通り、「判断よりも感情的理解を」ということになるんですが、そうするためには判断の基準を手放していく必要があるのです。

3.判断の基準は、心の痛みがつくるもの

けれども、この判断の基準を手放すというのは、なかなか難しいものです。

それは、その基準が、私たちの心の痛みからやってきていることが多いからです。

たとえば、ある人は「自分の正直な気持ちは、誰にも打ち明けてはいけない」という基準を持っていたとします。

その基準をもとにすると、相手に自分の本音を伝えることは間違っていることであり、自分の内に留めておくことが正しいこと、となります。

これが、判断ですよね。

もちろん、その判断と基準自体が正しいかどうか、いいことかどうかは、ここでは問題にしません。

ただ、その基準を持っていると、「信頼している相手には、自分の本音は話すべき」という人とは、なかなかうまく折り合えないですよね。

特に、パートナーとか、関係性が近くなるほどに、そうした基準のずれは、大きなすれ違いを生みます。

しかし、その人が「本音を言ってはならない」という基準を持つようになったのには、何がしかの経験からくる心の痛みが関係していることが多いものです。

たとえば、とても信頼してた友人に話した秘密を、不本意な形で公開された、とか。

たとえば、母親の愚痴をいつも聞く役になっていて、自分の気持ちを聞いてもらえなかった、とか。

そうした経験から、「自分の正直な気持ちは、誰にも打ち明けてはいけない」という基準を持つようになったのかもしれません。

そうした過去のできごと、経験、そこからくる痛みが、判断の基準をつくることは、非常に多いものです。

自分の心の内の痛みとかかわるわけですから、簡単に「はい、手放しましょう」というわけにはいかないわけです。

その手放すためには、過去のできごとからくる痛みを癒していくことが、まずは必要になってくるのです。

今日は、判断の基準は、心の痛みがつくるもの、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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