条件付きの愛し方をしてしまうとき、その条件は「それがないと愛されない」という自分の観念を教えてくれます。
それは、むやみに否定するものでもなく、そうせざるを得なかったことに寄り添うべきなのでしょう。
1.どんな自分でも愛する、ということ
昨日は、どんな自分でも愛する、というテーマでお伝えしました。
自分を愛する、自分を肯定するというのは、よく言われることです。
ただ、この「自分を愛する」ときに、何らかの条件付きの愛し方、認め方をしてしまうことが多いものです。
「〇〇ができたら」といったように。
けれど、この愛し方は、それができているときはいいのですが、それができなくなると、途端にしんどくなります。
それまでの自己肯定が、そのまま正反対に自己否定になってしまうんですよね。
真に「自分を愛する」というのは、こうした条件付きで愛することではありません。
どんな自分も、愛する。
〇〇ができなかったとしても。
理想の自分ではなかったとしても。
周りにどう思われたとしても。
自分だけは、自分自身を肯定し、愛してあげる。
「それでも、私は私のことを愛している」
それが、真に自分を愛する、ということなのでしょう。
2.条件とは、愛されるためのハードル?
では、なぜ私たちは自分を愛するのに、条件をつけてしまうのでしょうか。
一番大切にしたいはずの自分自身に対して、「これができなければ、愛してあげない!」といういじわるをしてしまうのは、なぜなんでしょうか。
今日は、そんなテーマを少し考えてみたいと思います。
まるっと自分自身を愛してあげればいいんですが、どうしても何らかの条件をつけてしまう。
「勉強ができたら」
「あと3キロ痩せたら」
「誰かにがんばりを認めてもらえたら」
そうした条件を、つけてしまうんですよね。
それは言い換えると、「こうしないと愛されない」という観念といえます。
勉強ができないと、愛されない。
痩せていないと、愛されない。
がんばっていないと、愛されない。
…などなど、ありますよね。
条件とは、愛されるためのハードルであり、それを越えていないと愛されないし、愛される価値がないと思い込んでいるわけです。
このあたりを掘り下げていくと、けっこう自分のコアな部分の思い込みというか、観念が見えてきたりします。
がんばっていないと、愛されない。
頭がよくないと、愛されない。
人当たりがよくないと、愛されない。
それって、ほんとうでしょうか…?
3.条件を付けざるを得なかった自分に寄り添う
「こうした観念は、ただの思い込みだ!」
…などと言いたいわけではありません。
もちろん、その観念を手放すことができれば、自分を愛することも楽にはなるんでしょうけれども、無理矢理に捨てようとしてもうまくいかないものです。
別れた恋人を忘れよう!と思っても、かえって未練と執着が強くなってしまうように。
大切なのは、「なぜ、その条件を満たさないと、愛されないと思うのだろう?」という視点です。
そう思い込むのに十分な、何らかのできごとがあったのではないでしょうか。
そして、
「こうしないと愛されない」と思うような、できごと。
がんばらなかったことで、愛されなかった。
テストで悪い点だったから、愛されなかった。
そうしたできごとによって、条件はつくられたのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、条件付きで自分を愛そうとするのも、しょうがないよな…と思いますよね。
そこが、まずスタートです。
「条件付きの愛し方はよくない」と頭ごなしに否定するのではなく、そうせざるを得なかった自分に、寄り添ってあげる。
そこが、まずスタートです。
真に自分を愛することの、はじめの一歩なのでしょう。

今日は、条件付きの愛の「条件」について、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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