「許せない人」というのは、自分自身の中にある「許せない要素」を教えてくれる存在です。
だからこそ、その相手をどうこうするというよりも、自分自身をどう許していくかの方が大切なのです。
1.最後に許すのは、自分自身
昨日は、最後に許すのは、自分自身、というテーマでお伝えしました。
ここでいう「許し」とは、我慢や譲歩のニュアンスが入る一般的な語義とは異なり、自分自身のためにするものです。
「いま幸せでないならば、それは誰かを許していない」という格言がある通り、誰かを責め続けることは、自分自身を苦しめます。
誰かをずっと攻撃し続けるわけですから、それによって罪悪感を抱えてしまうのです。
罪悪感が溜まっていくと、私たちは自分に罰を与えないといけない、と感じるようになりますから、自然と幸せから遠ざかる選択を重ねてしまいます。
「あの人が悪い」と思ってしまうのは、ある意味で心の防衛反応であり、それは仕方のない面もありますが、ずっとそれを続けているのは、自分の幸せを遠ざけてしまいます。
こうした相手を責める罪悪感から、自分を解放してくれるのが「許し」です。
そして、人生のなかで許すのが難しい人が3人にいます。
父親、母親、そして自分自身です。
許せない人やできごとと向き合っていくと、両親の関係に行き着くことが多いものです。
そして、その先にいるのは自分自身です。
母親を笑顔にできなかった自分を、許す。
父親を許せなかった自分を、許す。
「許し」の最後は、自分自身を許すことに至ります。
2.許せないのは、誰?
最後に許すのは、自分自身。
そのことについて、今日はもう少し掘り下げてみたいと思います。
多くの場合、許せないと感じる相手は、ある特定の誰かです。
浮気をされて別れたパートナー。
信頼して打ち明けた秘密をバラされた友人。
自分だけはひどい扱いをしてきた先生。
「許せない」と言うとちょっと大げさかもしれませんので、「嫌い」と言い換えてもいいかもしれません。
そうした許せない、嫌いと感じる相手は、その相手自体がというよりも、その要素を持っていることで許せないと感じるものです。
信頼を裏切る。
自分を大切にしてくれない。
人によって態度を変える…
そうした要素を持っている人を「許せない」「虫唾が走る」と感じる。
でも、それは誰にとっても同じではなく、「自分が」そう感じるんですよね。
この「自分が」許せない、嫌い、イヤと感じると認識することは、非常に大切なことです。
そう考えていくと、その許せない相手は、自分のなかの「許せない要素のリスト」を炙り出してくれる人なんですよね。
自分の人生が一つの劇であるならば、そのイヤな役回りを引き受けてくれている、ありがたいキャストとも言えるかもしれません。
どんな劇でも、悪役が要りますもんね笑
3.やっぱり最後は、自分自身
許せない人は、自分のなかの「許せないスイッチ」を教えてくれるだけの人。
そして、そこをもう少し掘り下げていくと、なぜ自分はその行動や言動を「許せない」と感じるのか?という疑問が出てきます。
いろんな答えの可能性が、あると思います。
けれど、一つの答えとして、「自分自身の投影だから」という見方があります。
もう少し詳しく言えば、自分自身のなかに同じ要素があり、それを自分が許していない。
それが、外側の世界に映し出されたのが、「許せない人」なだけである、ということです。
だから、鏡の中の寝癖よろしく、その「許せない人」をどうこうしようとしても、何も解決しないんですよね。
鏡の中の寝癖にドライヤーをかけようとしても、無理ですもんね笑
だから、自分自身を許しましょう、というお話になるんです。
なんだか、相手が悪いことしてるんだし、なんで自分が、と思われるかもしれません。
けれども、結局最後は、自分自身を許すことなんですよね。

今日は、「許せない人」は、自分の中にある「許せない要素」を教えてくれるだけ、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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