大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

霜降の終わり、紅葉蔦色づくころ。

神無月も終わり、霜月に入りました。

11月と聞くと、毎年「もう今年もあと2か月か…」と言っているような気がしますが、今年もそんな感じがしますね笑

使っている手帳のページが、残り少なくなってくることに、歳の暮れを感じます。

時候は「霜降」の終わり。

もう来週には「立冬」、暦の上では冬に変わるようです。

七十二候では、「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」。

その字の通り、もみじや蔦が黄色く色づいてくるころです。

紅葉の見ごろは、まだもう少し先でしょうか。

 

気温もまた、徐々に下がっていくころでもあります。

私の住んでいる名古屋でも、来週はぐっと気温が下がり、最低気温が5度の予報の日があるようです。

朝の日差しも、どこか冬の色を感じるようになりました。

それにしても、こう気温が下がってくると、どこか、もの悲しさを感じます。

やはり、気候が私たちの心と身体の与える影響は、大きいように思います。

もちろん、寒くなるのが悪いわけでもなく、ただ、そんな季節になったのだな、と。

夏が過ぎ、そして気持ちのいい気候の秋が過ぎゆく。

それはどこか、終わりを感じさせるのかもしれません。

終わりゆくもの、去りゆくものは、やはり悲しさと寂しさと結びつくようでもあります。

その時期に、紅葉や蔦が黄色く、そして紅く色づく。

だからこそ、その色は鮮やかで、人の目を惹くのかもしれません。

 

終わりがあればこそ、私たちはそれを「感じる」ことができます。

その最中、渦中にいるときは、ただそれに夢中になっているだけ。

それが過ぎゆき、終わりを迎えるとき、それを感じることができる。

それは、夢が覚めるときでもあります。

秋が深まることのもの悲しさ、寂しさというのは、そんなところからきているような気もします。

もちろん、寂しさや悲しさは、私たちが生きる証です。

それがあるからこそ、つながりを感じることをできるわけですから。

 

そんな秋の終わり。

その色づく葉をながめる時間を、そこで感じるものを、大切にしていたいと思います。

今日も、どうぞご自愛くださいませ。