大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

好きなことが分からないことは、悪いことでも何でもない。

好きなことが分からない、となってしまうことがあります。

それは、別に悪いことでもなんでもありません。

ただ、自分以外に意識を向けすぎてきただけなのかもしれません。

1.好きなことをしながらは、悩めない

昨日の記事では、好きなことをしながらは、悩めない、というテーマでお伝えしました。

好きなことをしながらは、悩めない。 - 大嵜直人のブログ

問題に出会ったときは、というシリーズですね。

恋愛や結婚、仕事やそこでの人間関係、家族や子育てといったように、実にさまざまな問題に私たちは出会います。

そうしたとき、「こうなったら問題が解決して、悩まなくなるのに」といったように考えてしまうものです。

別れた恋人への未練なら、その相手の気持ちが戻ってきたら。

不実を重ねるパートナーならば、そのパートナーが誠実になってくれたら。

仕事が激務ならば、仕事が落ち着いたら。

しかし、自分にとって大きな問題であればあるほど、なかなかそうした自分の想定どおりにには解決しないものですし、それゆえに長期化してしまうことが多かったりします。

そうしたとき、「自分の好きなことをする」というアプローチは、また違った効用があるものです。

「最高の癒しは忘却」という言葉もあるように、好きなことをしているときに、その問題が気にならなくなったりします。

「問題を解決するために、何かしないと」

という焦りを感じるかもしれませんが、そればかりしていると、どうしても疲れてしまいますし、なかなか解決しないことにうんざりしてきたりします。

そうした意味でも、「好きなことをする」というアプローチは、どんな問題と向き合う上でも、非常に大切なアプローチになります。

2.好きなことが、分からない?

ただ、「好きなことって言われても…」と感じる人も、多いかもしれません。

好きなことが、分からない。

それどころか、好きなことをしていいと言われると、なんだかムズムズするし、居心地が悪い、そんな風にすら感じる。

それまで、自分でがんばってきた人は、その傾向が強いかもしれません。

あるいは、パートナーや家族、あるいは友だちや同僚といったように、自分以外の人を優先してきた方も、そうかもしれません。

だから、好きなことが分からないことが、悪いことでもないですし、それで自分を責めることも全く必要ありません。

「あ、自分は自分の好きなことが、分からなくなっているんだな」

「自分の好きなことが、曖昧になっている」

それが分かったり、認識できただけでも、十分です。

それが、自分の現在地なのですから、それが分かっただけで、めちゃくちゃ大きいことですよね。

むしろ、それを脚色したりせずに、受けとめられたとしたら、素晴らしいことです。

3.「好き」は感覚だから、感じることに意識を向ける

自分の好きなこと。

「好き」って、感覚です。

そこに論理やロジックは、ないんです。

「なんかわからんけど、赤い系統の色が好き」

「よくわからないけど、沖縄の風が好き」

「あの人の音楽に、なぜか惹きつけられる」

もちろん、要素分解をしていけば、そこに共通項というか、好きになるモトのようなものは、見つかるかもしれません。

けれど、それは後付けなんですよね。

まずは、「あぁ、これが好きだな」って、感じること。

それができないと、自分の好きなことって分からないままですし、曖昧なままになってしまいます。

何を当たり前なことを、と思われるかもしれませんが、「好き」を見つけるには、感覚を開く必要があるんです。

感覚って、言ってみれば五感です。

見ること、聴くこと、肌で感じること、香りを感じること、味わうこと。

特別なことでは、ないんです。

誰もがしてきたことで、そして、頑張りすぎるなかで、自分以外の人に意識を向けすぎる中で、おろそかにしてしまったもの。

そこに、もう一度意識を向けてみるだけなんです。

そうしていくと、好きなこと、そうでないことが、はっきりとした輪郭を持って浮かび上がってくるのです。

今日は、好きなことが分からないことは、悪いことでも何でもない、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。

※ただいま10月度の個人カウンセリングを募集中となります。

〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。