好きなことが分からない、となってしまうことがあります。
それは、別に悪いことでもなんでもありません。
ただ、自分以外に意識を向けすぎてきただけなのかもしれません。
1.好きなことをしながらは、悩めない
昨日の記事では、好きなことをしながらは、悩めない、というテーマでお伝えしました。
問題に出会ったときは、というシリーズですね。
恋愛や結婚、仕事やそこでの人間関係、家族や子育てといったように、実にさまざまな問題に私たちは出会います。
そうしたとき、「こうなったら問題が解決して、悩まなくなるのに」といったように考えてしまうものです。
別れた恋人への未練なら、その相手の気持ちが戻ってきたら。
不実を重ねるパートナーならば、そのパートナーが誠実になってくれたら。
仕事が激務ならば、仕事が落ち着いたら。
しかし、自分にとって大きな問題であればあるほど、なかなかそうした自分の想定どおりにには解決しないものですし、それゆえに長期化してしまうことが多かったりします。
そうしたとき、「自分の好きなことをする」というアプローチは、また違った効用があるものです。
「最高の癒しは忘却」という言葉もあるように、好きなことをしているときに、その問題が気にならなくなったりします。
「問題を解決するために、何かしないと」
という焦りを感じるかもしれませんが、そればかりしていると、どうしても疲れてしまいますし、なかなか解決しないことにうんざりしてきたりします。
そうした意味でも、「好きなことをする」というアプローチは、どんな問題と向き合う上でも、非常に大切なアプローチになります。
2.好きなことが、分からない?
ただ、「好きなことって言われても…」と感じる人も、多いかもしれません。
好きなことが、分からない。
それどころか、好きなことをしていいと言われると、なんだかムズムズするし、居心地が悪い、そんな風にすら感じる。
それまで、自分でがんばってきた人は、その傾向が強いかもしれません。
あるいは、パートナーや家族、あるいは友だちや同僚といったように、自分以外の人を優先してきた方も、そうかもしれません。
だから、好きなことが分からないことが、悪いことでもないですし、それで自分を責めることも全く必要ありません。
「あ、自分は自分の好きなことが、分からなくなっているんだな」
「自分の好きなことが、曖昧になっている」
それが分かったり、認識できただけでも、十分です。
それが、自分の現在地なのですから、それが分かっただけで、めちゃくちゃ大きいことですよね。
むしろ、それを脚色したりせずに、受けとめられたとしたら、素晴らしいことです。
3.「好き」は感覚だから、感じることに意識を向ける
自分の好きなこと。
「好き」って、感覚です。
そこに論理やロジックは、ないんです。
「なんかわからんけど、赤い系統の色が好き」
「よくわからないけど、沖縄の風が好き」
「あの人の音楽に、なぜか惹きつけられる」
もちろん、要素分解をしていけば、そこに共通項というか、好きになるモトのようなものは、見つかるかもしれません。
けれど、それは後付けなんですよね。
まずは、「あぁ、これが好きだな」って、感じること。
それができないと、自分の好きなことって分からないままですし、曖昧なままになってしまいます。
何を当たり前なことを、と思われるかもしれませんが、「好き」を見つけるには、感覚を開く必要があるんです。
感覚って、言ってみれば五感です。
見ること、聴くこと、肌で感じること、香りを感じること、味わうこと。
特別なことでは、ないんです。
誰もがしてきたことで、そして、頑張りすぎるなかで、自分以外の人に意識を向けすぎる中で、おろそかにしてしまったもの。
そこに、もう一度意識を向けてみるだけなんです。
そうしていくと、好きなこと、そうでないことが、はっきりとした輪郭を持って浮かび上がってくるのです。

今日は、好きなことが分からないことは、悪いことでも何でもない、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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