受けとることをせずに与え続けていると、自分の愛が枯れたように感じてしまうことがあります。
それは悪いことでも責めるべきこともなく、そこまで与えてきた自分を愛するときなんです。
1.循環しないと、愛は枯れてしまう
昨日の記事では、循環しないと愛は枯れてしまう、というテーマでお伝えしました。
「自立」の人の、「愛を受けとれない問題」からのつながりでした。
私たちの心の成長は、「依存」から「自立」、そして「相互依存」へとそのプロセスをたどります。
「依存」時代に何もできない無力感に傷ついた分だけ、「自分で何とかしよう!」とするのが「自立」のはじまりです。
「自立」していくと、自分ができることが増えていき、それによって周りの人に「与える」こともできるようになります。
しかし、その反面、自分の正しさや自分のやり方にこだわるようになり、それゆえに周りと競争したり、ぶつかったりしやすくなります。
この競争心というのが、愛を受けとることを妨げるんですよね。
だって、敵から塩は受け取れないじゃないですか笑
「自立」が進むほどに、与えることはできるけれど、受けとれない、という状態になりやすいものです。
しかし、与えることだけを続けることは、できないんですよね。
人も組織も、あるいは水も、循環しないと濁っていくように、与えることだけをしていると、いつか枯れてしまうのです。
与えることの喜びを感じられなくなったり、疲れ果てて与えることができなくなったり。
循環しないと、枯れてしまうのです。
だから、受けとるということは、「自立」の人にとって非常に重要なテーマになるのです。
2.枯れることは、悪いことではない
さて、今日はその「枯れる」ことについて、少し補足をしてみたいと思います。
ずっと与え続けていると、いつか枯れてしまう。
与えることに疲れてしまったり、喜びを感じられなくなったりしてしまう。
何の喜びもなく、世界が灰色に見えてしまうことだって、あるかもしれません。
それはその人にとって辛いこと、しんどいことではあるかもしれません。
けれども、それが「悪いことだ」と、自分で自分を否定をしないでほしいというのが、今日のテーマです。
しんどいのは、その人自身なわけですから。
その上に、「それはあかん」とばかりに、自分が否定してしまったら、逃げ場がないんですよね。
枯れるほどに与え続けて、さらに、それを否定されたら…やってられないですもんね笑
それは、間違いでもなんでもないんです。
自分がしてきたことを、自分が否定することほど、しんどいことはありません。
枯れるほど与えててきて、さらにそれを自分が否定する。
そんな二重の意味でしんどいことは、しないでほしいんです。
3.枯れるまで与えられたことを誇りましょう
真実は、おそらくその逆です。
「よく、そこまで与えてこられましたね」
と、与えてきた自分をねぎらってあげること。
もし自分の愛が枯れてしまったと感じとき、必要なのはそんな視線なのでしょう。
枯れるまで与えることができたこと。
それを、誇りましょう。
それが、「自立」の問題だろうが、なんの問題だろうが、そんなことはなんだっていいんです。
ただ、枯れるほどに、誰かの為を思って、与え続けてきたこと。
それを、誇ってほしいんですよね。
ねぎらってあげてほしいんですよね。
受け入れてあげてほしいでんすよね。
そんな自分を、愛してあげてほしいんですよね。
心理的に見れば、「枯れる」というのは、デッドゾーンとよばれる「自立」の行き着く先です。
心理学では、「ウェルカム トゥ デッドゾーン」という格言があります。
「枯れた世界へ、ようこそ!」といった感じでしょうか笑
要は、歓迎するべきことなんですよね。
枯れるまで与えられたってことは。
そこまで歩いてこられたことを誇ってほしいんです。
何も責めることはないですし、そこまでの長い旅路を歩んできた自分を、ねぎらってあげてほしいんです。
そして、デッドゾーンは「自立」の曲がり角でもあります。
そこは、すべてのスタートでもあるのです。
今日は、「自分の愛が枯れてしまった」と感じたときは、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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