大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

四半世紀ぶりの神宮球場に、変わらぬ球音ありて。

神宮球場を訪れるのは、いつぶりだっただろうかと、スマホで前回の訪問を調べてみたら、25年ぶりだった。

なにしろ、前回訪れたのは、ドラゴンズが20世紀最後にリーグ優勝を決めた試合だから、分かりやすい。

1999年。

星野仙一監督のもと、ナゴヤドーム移転後、初めてリーグ優勝を成し遂げた年だった。

当時、私は大学1年生。

大阪出身なのに、なぜかドラゴンズファンという友人と、優勝決定試合になるかもしれないということで、神宮に出かけていった。

チケットをどうやって入手したのかも覚えていないが、友人と二人、レフトスタンドに陣取ったことを覚えている。

優勝を決めたあと、星野監督がインタビューで「名古屋の皆さん、やりましたよ!!」と呼び掛けていた。

愛知県の片田舎から、大都会にできてたばかりの私にとって、その言葉は実に感慨深いものだった。

遠く離れて暮らす父も、その言葉を聞いていたのだろうか。

その夜から、四半世紀。

外苑周りを歩くも、まったく当時の面影が思い出せなかった。

10年ひと昔というが、その2.5倍の時が流れているのだから、当たり前なのだろう。

東京五輪が行われた新国立競技場ができて、東京五輪があって。

その新国立競技場を眺めながら、神宮球場への道を歩く。

スワローズのユニフォームを纏った親子連れ、カラフルな衣装のビールの販売員の方と一緒に、球場へ。

球場に着くと、たくさんのドラゴンズのユニフォームを着た方たちを見かけ、安心する。

なにせ、ここはビジター。

数では負けても、熱量では負けないように、選手に応援を届けたいものだ。

抜けるような晴天の下、レフトスタンドに着席。

青空と、グラウンド。

この解放感よ。

最近はドームでばかり観戦だったけれども、この野外球場でしか味わえない趣きが、確かにあるのだ。

空、風、雲、太陽。

そして、野球。

5月初旬の夕方なのに、ずいぶんと強い陽射しに、私はタオルを頬冠って、そのときを待っていた。

グラウンドでは、ドラゴンズの選手たちがバッティング練習を行っている。

4月のスタートダッシュはどこへやら、ここのところ、先発が打ち込まれる試合展開が続いていた。

リリーバーも疲弊する悪循環を、なんとか止めたい。

今日の先発は、髙橋宏斗投手。

開幕はファームで迎えたものの、先週から1軍に復帰、見事なピッチングを見せてくれていた。

それにしても、この空が暮れゆくのを、球場で眺める美しさよ。

徐々に照明塔に灯が入り、否が応でもテンションが高まってくる。

屋外球場は、やっぱりいいなぁ…

本拠地で、マスコットのつば九郎も、絶好調。

神宮球場での、放り投げたヘルメットかぶり挑戦を見ることができて、感無量。

もちろん、いつも通り成功はせず笑

果たして試合は、髙橋投手の快投に打線が応え、見事に6対3で勝利。

最後はバタバタして、ライデル・マルティネス投手の救援を仰いだものの、髙橋投手は今季初勝利を決めた。

というか、ドラゴンズ自体が、この鬼門・神宮球場で今季6戦目にしてようやく初勝利。

後ろに陣取っていた同士の方は、「6試合目でようやく勝った…」と感慨に浸っていた。

負けも苦難も、勝ちの味はすべてを忘れさせてくれる。

 

帰り道、外苑前駅までの道を歩く。

前をスワローズファンの親子連れが歩いていた。

「神宮の杜の村神様」こと、村上宗隆選手のユニフォームを着た、小学生くらいの少年。

村上選手と言えば、先日、史上最年少での神宮球場通算100号ホームランを放ったばかり。

この少年も、その美しき放物線を何度も見たのだろうか。

それとも、これから見るのを楽しみに訪れたのだろうか。

過ぎ去りし日の、幼い自分もまた、ホームランの描く優美な曲線に、魅せられたことを思い出す。

彼もまた、大きくなったときに、神宮球場を訪れるのだろうか。

そのときもまた、球音が人を魅了していることを願った。