大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

感情を溜め込んでしまうのは、誰かを愛したかったからなのかもしれない。

感情は溜め込むと、ロクなことがありません。

ただ、なぜ溜め込んでしまうのだろう?と考えてみると、それは誰かへの愛からではないかという視点で見ることもできるのです。

1.感情を感じることと、自分とのつながり

昨日の記事では、感情を感じるとは、自分とのつながりを感じること、というテーマでお伝えしました。

感情を感じるとは、自分とのつながりをしっかりと感じること。 - 大嵜直人のブログ

こころのところ、感情を溜め込むことの悪影響というテーマでお伝えしています。

感情とは、天気や生理現象のように、自然に湧き上がっては流れていくものであり、それを自分でコントロールしようとすると、いろんな弊害が起きます。

土砂降りの雨の日に、傘もささずに出かけたり。

お腹の調子が悪いのに、激辛料理を無理して食べようとしたり。

まあ、いろんな弊害が起きますよね笑

感情もまた同じで、それを抑え込もうとすると、莫大なエネルギーを使いますし、さらにはその抑え込んだ感情を、外の世界に投影してしまったりもします。

そうすると、周りの人との関係を円滑にするのは、難しくなりますよね。

なので、感情は溜め込まずに、安全な場所で解放しましょう、となるのですが、これが自分とつながれていないと、なかなか難しかったりします。

自分が何を感じているのか、どんな感情を感じているのか、自分とのつながりが切れていると、よく分からなくなってしまうものです。

昨日の記事では、自分がどんなときに、安心して感情を感じられるのか、解放できるのか、それを知っておくことって大切ですよね、というテーマでした。

自分自身のことを知り、その自分が心地いいと感じる場所を提供してあげる。

地味ですが、それってとても大切なものです。

2.なぜ、感情を溜め込んでしまうのか

さて、今日はそもそも論として、「なぜ感情を溜め込んでしまうのか?」という点について、少し考えてみたいと思います。

感情を溜め込むと、ロクなことがない。

けれど、なぜ私たちは、感情を溜め込んでしまうのか、という視点ですね。

いろいろな視点での答えがあると思います。

たとえば、一つには、感情を感じるにはとても気力・体力が要る、という点が考えられるかもしれません。

感情って、感じるとすごーく疲れるんですよね。

だから、映画を観て感動したり悲しくなって涙を流したりすると、とても疲れますし、カウンセリングを受けて感情が動くと、ぐったりと疲れたりします。

だから、自分の体調が整っていないと、感情を感じるって、難しいんですよね。

たとえば、「いまから20キロ走ることになりました」と言われても、「いや、いまはちょっと…仕事終わったばっかりなんで…」って、なりますよね笑

そうして、後回しにしてしまう、溜め込んでしまうってことは、あると思います。

だからこそ、昨日の記事でも書きましたが、自分を整えておくことは、感情を溜め込まないためにも、とても大切なことになります。

 

あるいは、小さいころからの習慣やしつけ、という理由も、考えられます。

「大声を出してはいけません」

「人前で泣いてはいけません」

「そんなにはしゃいで、はしたない」

といった具合に、感情を感じること、それを出すことがいけないこととして、教えられてきたから、無意識に感情を感じることを抑え込んでしまう。

いわば、刷り込みのような形で、感情を感じることを禁じてしまっている。

もちろん、それは社会生活を営む上で、大切なことの場合も、あるのでしょう。

そのために、親や、家族や、身近な人が、「感情を出してはいけない」と教えてきたのでしょうから。

ただ、それがあまりにも強すぎると、冒頭の感情を溜め込んでしまう、いろんな弊害が起きてしまうこともあるのでしょう。

3.誰かを愛するために、抑え込んだのかもしれない

まあ、そのあたりうまくバランスを取れればいいのでしょうけれども、それがなかなか難しかったりしますよね。

でも、そうしたときに大切なのは、「感情を溜め込んでしまう自分は、よくない」といった具合に、自己否定に向かわないことです。

あるいは、その裏返しで、「自分が感情を溜め込んでしまうのは、あんなしつけをした親のせいだ」と、誰かを攻撃する方に向けないことです。

自分を否定するのも、誰かを責めるのも、あまりいいことにはなりませんから。

じゃあ、どんな風に考えたらいいのか。

そこに、愛があったのではないか、という視点です。

感情を溜め込んでしまうのは、そうした誰かから言われたことを、守りたかったからだとしたら。

その誰かを愛するために、私たちは感情を溜め込むことを選んだのでは、と考えることはできるように思います。

だって、そうすれば、その人が笑顔になるから。

不機嫌にならないから。不幸せそうな顔をしないから。

そのために、感情を溜め込んでいたとしたら。

それは、たしかに、しんどいことかもしれないけれど。

責められることでも、否定されることでもありませんよね。

だって、その人を愛するために、していたのだから。

 

もちろん、それで自分がしんどくなってしまったら、元も子もありません。

だから、別の愛し方で、その人に愛を差し向ける方法を考えて、試して、選んでいけばいいんだと思うのです。

ただ、そのときには、「感情を溜め込む」という方法しか、その人を愛する方法、愛を伝える方法が、なかっただけなのかもしれません。

それは、別に否定されることでも、なんでもないですよね。

「よく、愛してきたね」って、ねぎらってあげてほしいのです。

 

そんな風に、感情を溜め込むということにしても、誰かへの愛という視点から見てみることはできます。

そして、視点を少し変えれば、見えてくる風景もまた、変わっていきます。

今日は、感情を溜め込むことを、誰かへの愛という視点から見てみる、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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