自立の人は「与える」ことができるといいますが、それはある意味で「かりそめ」です。
真に「与える」ためには、自分のなかの「弱さ」を愛する必要があるのです。
1.「弱さ」は誰かに与えるギフト
先日の記事では、「弱さ」は誰かに与えることのできるギフト、というテーマでお伝えしました。
あなたの弱さは、誰かに与えることのできるギフトになる。 - 大嵜直人のブログ
大きくは、「自立を手放すために」というテーマですね。
私たちの心は、依存から自立、そして相互依存へという成長プロセスをたどります。
そのなかで、自立から相互依存への転換が、実に難しかったりするんですよね。
カウンセリングで扱うテーマの多くも、この自立の問題だったりもします。
私たちは、いつも依存からスタートします。
生まれ落ちたとき、小学校に入学したとき、はじめてパートナーとお付き合いしたとき…自分では何もできない、誰かに何とかしてほしい、という依存の状態からはじまります。
この依存の状態は、自分以外の人に主導権を握られている状態であり、自分では何ともできないしんどさ、苦しさがあります。
お腹が空いていても、愛してほしくても。
それを与えてもらえるかどうかは、相手次第。
それは、しんどいものです。
それが続くと、私たちは「もうしんどい、それなら自分でなんとかする」とばかりに、自分でやろうとしはじめます。
これが、自立ですね。
そのスタートは、自分の弱さや無力感にあるわけですから、自立の人はその「弱さ」を嫌うわけです。
それを認めてしまうと、また依存に叩き落されてしまうから。
この「弱さ」とは、実は自分の周りの人に愛してもらうポイントというのが、先日のテーマでした。
だから、それを隠すほどに孤独になりますし、周りから愛されづらくなります。
2.自立の与えるは、かりそめの姿
自分の「弱さ」は、周りの人に愛してもらうポイント。
同時に、その「弱さ」を自分自身が愛していく必要がある、というのが今日のテーマです。
自立の人は、この「弱さ」を嫌います。
先ほど書いたように、その「弱さ」がしんどいから、依存から抜け出したのですから。
しかし、この「弱さ」を嫌っていると、周りの人に真に与えることができません。
あれ?でも、自立の人は、自分でなんでもできるし、それゆえに「与える」ことができるのでは?と思われたかもしれません。
そう思われた方は、スルドイです笑
自立の人の「与える」は、言ってみれば「かりそめ」なんですよね。
形の上では、「与えている」と同じに見えるかもしれません。
けれども、それは「与える」ことで自分の価値を確かめているだけだったりするんですよね。
与えることができるから、私には価値がある、と信じたい。
そんな心理が、自立の裏には隠れています。
それでも、「与えた」ことには変わりはないんですけれどね。
3.自分の「弱さ」を愛する
「投影」の視点でいえば、自分のなかの「弱さ」を嫌っていると、周りの人の「弱さ」を愛することができません。
「弱さ」を嫌う視点を、周りに映し出すからです。
だから、自立の人の「与える」は、どこかにその「弱さ」を忌み嫌う要素があります。
そのため、与え続けていると、その見えてくる「弱さ」がイヤになり、どこかで尽きてしまったり、与えられなくなったりします。
これが、先ほど自立の「与える」は、「かりそめ」だと書いた理由でもあります。
一方で、自分のなかの「弱さ」を愛することができると、それを周りの人にも投影します。
相手の「弱さ」を許し、そして愛するなかで、自然に与えることができるようになるのです。
この「与える」は、枯れることなく、続けていけるものです。
真に「与える」ことができているとき、疲れるどころか、それによって癒されたりするものです。
もし、自分のなかの「弱さ」を嫌っているのであれば。
それを許し、愛していくことで、真に「与える」ことができるようになっていきます。
それは、与えながら受けとっている、相互依存の世界の扉を開くことでもあります。
今日は、真に与えるためには、自分のなかの「弱さ」を愛する必要がある、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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