大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

わたしの身体は、わたしに与えられたのもであり、わたしだけのものではないもの。

自分の身体をどう扱うかは、自己愛、自己受容と密接な関係があります。

自分だけの所有物ではないという意識を持つと、少し扱い方が変わっていきます。

1.自分自身にかける言葉

昨日の記事では、自分自身にかける言葉、というテーマでお伝えしました。

もし、親しい友人が自分と同じ状況に置かれていたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいだろう? - 大嵜直人のブログ

ここのところの大きなテーマは、「自分を愛する」なのかなと思います。

といっても、あらかじめ決めているわけではなくて、いつも書いているうちに決まっていくのが、私らしいといえば私らしいのですが笑

「自分を愛する」

普遍的なテーマではありますが、いろんな面から考えることができます。

昨日のテーマは、自分自身に対して、自分がどんな言葉をかけているか、というテーマで考えてみました。

24時間365日、ずっと離れず一緒にいる自分自身。

そんな自分に対して、いつもどんな言葉をかけているかで、私たちの自己愛、自己受容といったものは大きく変わります。

鬼軍曹がいつも追い込みをかけてくる言葉のか、それとも、聖母のようにあたたかく包み込んでくれる言葉なのか。

そのどちらが正しいか?という視点ではなく、「そのときの自分に必要な言葉」をかけたいものです。

厳しさが必要なときもあれば、やさしさが必要なときもあるのでしょうから。

昨日の記事では、仮に、親しい友人が、自分と同じ状況に置かれていたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいか?という形で、その言葉を探してみるということをお伝えしました。

大切な試験に臨む前の友人。

仕事でくたくたに疲れてしまった友人。

家事に子育てに、日々奔走している友人。

自分と同じような状況に置かれた友人がいたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいでしょうか。

それが、自分にとっても必要な言葉ではないかというのが、昨日のテーマでした。

2.自分の身体をどう扱うか

今日は、この「自分を愛する」という流れのなかで、「自分の身体」というテーマを少し触れてみたいと思います。

自分を愛することのなかに、自分の身体を愛してあげることは、とても大切なことになります。

「身体を愛する」って、字面だけ見ると、なんだか大仰に聞こえるかもしれません笑

言葉を変えるなら、「身体をいたわる」「身体にいいことをする」「身体を大切にする」といったことでもありますし、「身体を鍛える」こともまた、愛することの一部になるのでしょう。

私もスポーツジムに行って、自転車を漕いだり、筋トレをしたりしていますが、終わった後は心地よい疲労と充実感があるものです。

一方で、自分責めや自己攻撃があると、自分の身体を傷つけたりする自傷行為につながってしまったりします。

直接的に自分の身体を傷つけることもそうですが、間接的にも、夜更かしをしたり、暴飲暴食をしたり、運動などのメンテナンスを怠ったりすることもまた、自分の身体をないがしろにすることなのでしょう。

自分の身体を、どう扱うか。

それは、自分をどう扱うかとも密接に関係しているようです。

また、自分の身体を丁寧に扱うほどに、自己肯定感も上がりやすくなりものです。

ほら、丁寧に磨いた靴を履くときって、気持ちがいいし、胸がシャンと張れるじゃないですか。

それと、似ていますよね。

3.与えられたものであり、預りものでもある

とはいえ、ここで「自分の身体を大切にしましょう」と言われたところで、「いや、できるものなら、したいんですけれども…」となりますよね。

わかっているけれど、できない。

カウンセリングでお話を伺うかなかでも、とってもあるあるなテーマですね笑

王道としては、自分を癒していくことで、自分を愛するというマインドを育てていき、自然と身体をいたわれるようにするか、もしくは習慣化してしまう、ということのいずれかになるのでしょうけれども、今日は少し違った方向性で進めてみたいと思います。

それは、自分の身体についての見方です。

私たちは、どこか自分の身体を自分の「所有物」のように考えてしまいがちです。

この世に生まれ落ちたときに、与えられたもの。

そんな感覚って、ありますよね。

しかし、ほんとうにそうでしょうか。

もちろん、私たちの身体は、自分の意志で動かせたりします。

腕を上げようと思えば、上げることができます。

瞼を閉じようと思えば、閉じることができます。

しかし、私たちの身体のなかには、自分の意志とは関係なく、動いている部分もあります。

24時間休みなく動いている臓器なんか、特にそうですよね。

そこから見えてくるのは、私の身体というのは、私に与えられたものであり、それでいて、私「だけ」のものではない、という性質もあるのではないでしょうか。

いってみれば、いったんお預りしているもの。

もし、そんな風にとらえることができたなら、私たちの身体の扱い方もまた、変わっていくのでしょう。

だって、大切な友人に借りた本を、乱暴には扱わないじゃないですか笑

わたしの身体は、わたしのものだけれども、わたしだけのものではないもの。

自分の身体を想うときに、そんな感覚を持つことができると、その扱い方もまた、変わっていくのでしょう。

今日は、わたしの身体はわたしに与えられたものであり、わたしだけのものではないもの、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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