三十数年前、私もそうだったのだろうか。見守られ、手を引かれ、そこにいた。生きるとは、愛を思い出す旅。そうなのかもしれないと思った。
平安の昔の歌人も、桜の美しさを伝える歌として、「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と詠っている。それだけ、この短期間で一気に咲き誇り、散りゆく桜というのは、千歳の昔から人の心を忙しく揺さぶってきたのだろう。
断酒の恩恵を見つめながら、これからもできる範囲で続けていこうと思う、断酒5か月目である。
時間をかけることを怖れると、時間が止まる。時間をかけることを覚悟すると、時間が進む。時間という霊薬は、かくも不思議な効用を持っているようだ。
今日のこのトンネルは、どこの青空につながっているのだろう。芝生の上に横になったせいか、草きれが入ったようで背中がむず痒かった。それもまた、春らしいような気がした。
偶然開いたページのはずなのに、なぜかその日にぴったりのアドバイスやヒントが出てくるから面白い。偶然などなくて、すべて必然。自分自身がそれを選んでいる、と思うと楽しい。
夜桜を照らすにぎやかな灯りを見上げていると、やはり普段は思い出さないようなことが浮かんでくる。いまとなっては何の意味も為さない、その数十年前の会話。それでも、私はその陽射しのオレンジ色の寂しさと、百五十億年先への心配を覚えている。そんなど…