2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧
童心。桜の花の下では、皆がいい笑顔でいた。童心に還れるから、花見をするのかもしれない。そんなことを思った。
友人にグローブとソフトボールをもらった。興味深々の息子はバットもほしいと言うので、ホームセンターで買ってきて、さっそく近所の公園に繰り出す。革の匂い、ボールの縫い目のでこぼこ、指の感触。どれも、30年以上前の童心に還らせてくれる。
あなたの大切な人を、傷つけないために。あなたの大切な人を、大切にするために。そして、世界でたった一人の、あなたという存在の尊厳を守るために。ありがとう。と言おう。
私がお酒で酔っ払っていたのは、ずっと「寂しかった」からだとも思う。けれども、生命力にあふれる人ほど、お酒をよく飲むことで、その抑えきれない生命力を中和しているというのは、一考に値するような気もする。煙草なども、その類いのものなのかもしれな…
近代スピーチにおける、西野亮廣さんの言葉、「僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできないけれど、過去を変えることはできる」。「時の流れ」というのは、実は私たちが思っている方向と、逆に流れているのではないだろうか。
キングコング・西野亮廣さんが、近畿大学の卒業式で卒業生に向けてスピーチした全文を、ご本人のブログでアップされている。そのスピーチに寄せて、所感を書いてみたい。
多くの場合、「怖れ」と「罪悪感」は自分の親との関係に密接に結びついている。端的に言って、「怖れ」とは自分が親を越えるとき、あるいは親が知らない世界に飛び出すときに生まれる。
1年ぶりに見る奇跡に、息子と一緒になって喜ぶ。そのやさしい奇跡に、なぜか涙が頬を伝った。
先日、知人から大きなブリをいただいた。ブリというと、北陸・富山は氷見のブリが有名だが、最近は気象変動の影響か不漁が続いていると聞く。いただいたのは、三重県は尾鷲であがったブリだった。
「ふと」したときに聞こえる、自分の内なる小さな声の指し示す願いを叶える、ということ。叶える、と「決める」、ということ。そう決めると、また世界は豊かになる。
熊野を訪れてから一年。そのとき不思議なシンクロを与えてくれた、大切な友人のヤタ(椙山眞伍)さんは「空飛ぶカウンセラー」としてデビューして活躍されている。
CHIE'S KITCHEN(チエズキッチン)さん主催の「京都宮津の逸品 飯尾醸造様に学ぶお酢料理教室」に参加してきました。飯尾醸造さんのお酢を使った料理教室が名古屋で開催されることをSNSで拝見して、参加をさせて頂きました。
米国にGallup社という世論調査と組織コンサルティングを行う会社があります。 そのGallup社の開発した「ストレングスファインダー」というテストが面白く、このブログでも何度か取り上げさせて頂いております。 kappou-oosaki.hatenablog.jp ストレングスフ…
「ボケの花」は全国にたくさん咲いているのだろうが、今日いまこのときの「ボケの花」は、目の前にあるこの花だけのように感じる。名前の、力。植物ですらそうなのだから、愛を持ってつけられた人の名前には、もっとすごい力が宿っているのかもしれない。
久しぶりに走る感覚を思い出す。十歩ほど走っただけで、以前との感覚のずれを感じる。身体は重く、足が上がらない。その感覚が、大事なのだろう。
季節はめぐる。菜の花は、世界に黄色を与える。今日も、ここで書くことができてよかった。明日も、またここで。
始まりと終わりは、必ず同じ場所。海に流れ着いた水が、やがて海へと還るように。
当ブログをHTTPS(SSL)化いたしました。
「かなしいです どうにかしてください」そう言うことができるのは、強さなんじゃないだろうか。
人が最も怖れ、コンプレックスを感じる場所は、その人の最も豊かな天賦の才が立ちのぼる場所でもある。なくなること、別れること、失うこと。それは、私の最も怖れることであると同時に、最も豊かな才能があふれることなのかもしれない。
海水の濃淡の「もや」のような生命が、いつか見た夢。ひょっとしたら、私自身もそうなのかもしれない。いや、きっとそうなんだろう。いつか、見た夢。それは嬉しくも、また悲しい。
夢や幸せというものは、そんなようなものかもしれない。ただ見えていないだけで、案外そこらじゅうに転がっているのかもしれない。そんなことを思う、虹の足元を見た日だった。
料理には人柄が出る。井上征良さんの料理には、彼女のまっすぐで深い愛情が込められていて、それが食べる人を笑顔にする。
春は黄色い色から始まる。冬のモノトーンや茶色の世界からの変化は、黄色という色で訪れるようだ。年を重ねるごとに、季節のめぐりに新しい発見がある。季節のめぐりが、愛おしくなる。
断酒を続けていて、明確に変わったと思える変化に二つ気づいた。その変化は、禁煙の作用と似ている。食欲と性欲である。
なぜかやる気にならないとき。そんなとき、無理矢理進めようとしたり、モチベーションを上げようとしたり、状況を変えようとするよりも、別のことをするのがいいのかもしれない。
あなたは幸せからは逃れられないから。幸せになってしまうから。すでに許され、愛されているから。大丈夫だから。いま、その瞳にどんな現実が映っていても、いつかその愛を想う日が訪れる。あなたが「自分であること」を、喜んでくれる人がいる。
憧れの人や、ファンとして応援している人、あるいは大好きな人がいる、というのはありがたいことで。いいなぁ、好きだなぁ。と思える人がいたら、誰でも勝手にその人のようになっていくものだ。
表現とは、「違い」から生まれる。そして「違い」とは、自分の当たり前に気付くことに他ならない。その当たり前、よくよく見ていくと本当はすごいんだぜ?
遠足は行くまでが楽しい。私がそのことに気づいてしまったのは、いつごろだろうか。