2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「冷蔵庫を開けるたびに、日曜日に買ったキャベツがしなびていくのを見ては『そっ閉じ』しちゃうんです」
以前から行ってみたかった、東京は赤坂にある神社を訪れた。千代田区にある日枝神社と、港区にある赤坂氷川神社である。
自分の「寂しさ」と繋がった分だけ、どんなときでも私は「世界」に愛されている、と信じられるようになっていく。
ダービーに寄せて、競馬ブログ&WEBフリーペーパー「ウマフリ」さんに寄稿をさせて頂きました。四半世紀も前の、三強と呼ばれた優駿たちと三人の名手たちが覇を競った、1993年のダービーに寄せて。
大将のソフトの味がした。きななソフトの味。懐かしい、優しい味だった。 美味しかった。「ふと」気になったこと、「ふと」気になった人、そんな「ふと」を大切にしようと思った。
すべてが満ちる小満の節気の中、東京競馬場では3歳サラブレッドの頂点を決める日本ダービーが開催される。年の瀬も押し迫って、何かと忙しい中で迎える有馬記念ウィークも格別だが、ダービーウィークは、やはり特別だ。
西野亮廣さんの新刊、「新・魔法のコンパス」(角川文庫)に寄せて、商標を。
「アタシ聞きたいんですけど、『癒し』って、何のためにあるんですかね?」
あなたは、目の前でめまぐるしく起こる出来事に反応し、ああせえこうせえと煩く騒ぐ思考に囚われ、それに対して湧き起こる感情に一喜一憂している。もしも、そのあなた自身を観ているあなたがいるとしたら。
どんな風景や出来事もニュートラルで、起こっていることに意味はない。それにどれだけ傷つき、悩み、苦しんでいようが、その人の本質には一切関係がない。その本質の輝きは鈍ることなどないし、まして失われることなどない。それに気づくことが、「癒し」と…
誰もミスしない社会よりも、誰かが起こしたミスをカバーできる社会の方が、きっと優しい。そんなことを思った日だった。拾って頂いた神さま、ありがとうございました。
久しぶりに手紙を書いていたのだが、末尾に書いた「ご自愛ください」という言葉が、何だかいいなぁ、と改めて感じた。
もうすぐ、梅雨がやってくる。また季節はめぐり、新しい花を咲かせる。心なしか、風は湿っぽいようだった。
数えてみると断酒197日目である。今日は「断酒して半年が経過した私が」思う、断酒のいい点・悪い点・気づきを書き残しておこうと思う。
「アタシ、最近ほんとに休みの日は起きれないんですよ」
奈良県吉野郡は天川村に鎮座し、「日本三大弁財天」に数えられ「芸能の神様」として名高い天河大辨財天社。玉置神社を訪れるきっかけが、漫画「陰陽師」の中に出てくる安倍晴明の雨乞いの旅だと先に書いたが、天河大辨財天社のある天川村が、その旅の終着点…
ただ、それを伝えたいから。それを相手がどう受け取ろうとも、伝えたかったから。ただ、「私は」そう思った、と。もしかしたらそれは、「無償の愛」と呼ばれるものなのかもしれない。
この旅のそのもそもの目的地、熊野三山の奥の宮・玉置神社を訪れた。その存在を知ったのは、1年前に熊野三山をめぐった後だった。本宮のさらに奥地、奥吉野の玉置山の山頂に奥の宮があるらしい、と。
日本一広い村として知られる、奈良県吉野郡の十津川村を訪れた。その大きさは、東京23区よりも広い。奥吉野とも呼ばれ、紀伊山地により交通的に隔絶された地域であり、公共交通機関はバスしかなく、隣接の奈良県五條市から十津川村の中心部までは優に3時…
人の数だけ、母親に対する想いがある。そして、その想いは「おかあさん、ありがとう」という十文字を素直に言える人たちばかりではない。
先般よりご依頼頂いていた文章を、昨日クライアント様に納品させて頂いた。やはり、何度経験しても作品を納品する際は緊張する。
神倉神社に別れを告げ、いよいよ熊野古道を北上していく。目指すのは、熊野本宮大社。新宮市の街並みは、すぐに生い茂る新緑の木々へと変わっていった。
「令和って、ずっとお休みが続く幸せな時代じゃないんですか?」
なぜ、根本理加さんのクリスタルボウルの音は、記憶の底に沈んでいたイメージを呼び覚ますのだろう。不思議だ。
花の窟神社を参拝した後、熊野灘沿いにさらに車を南に走らせる。熊野三山の一つである熊野速玉大社の摂社である、「神倉神社」を訪れた。
伊勢自動車道を南に下り、清和多気ジャンクションを尾鷲方面に進むと、紀勢自動車道に入る。そのあたりで、明らかにそれまでと風景が変わる。山の、森、木の雰囲気が変わるのだ。日本の原初風景のような、野生の森とでもいうような、深い緑の風景が広がる。
「ありがとうございます、嬉しいです」人から好意を伝えられたとき、称賛を受けたとき、長所を見てもらったとき、ニッコリ笑ってそんな言葉を伝えられたら、どんなにいいのだろう。
子どもの日のはずなのに、親がギフトをもらってしまったな、と思う。いつもそうだ。与えるつもりが、逆にその何倍ものギフトを与えられている。
新緑の季節、さらに新芽は風薫る青空にその手を広げていくのだろう。自然の中のある一点の定点観測。それだけでも、いろんな奇跡と真理を教えてもらえるようだ。
息子と娘が保育園を卒園して、1か月が経った。その中で、何度か女性の先生とお話しすることがあったのだが、深い、惹きこまれる瞳をされていた。もう少し詳しくお話を聞いてみたいと思い、御礼かたがたお伺いして、お話しする時間を頂くありがたい機会を頂…