2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧
走ることを再開したのですが、やはり走っているときの無心になれる感覚と、走り終わった後の達成感は気持ちがいいものです。そして、走り始めると頭もスッキリして体調がいい日が続くようです。心と身体はつながっている。そんな当たり前のことを実感してい…
今から8年ほど前、前職を辞めるときにそれを報告した取引先の方から言われました。「もったいねえな。お前に腹を割って相談できる相手が、一人でもいたら、また違っていたんだろうな」
いまの自分は不完全で未完成かもしれない。けれどその今の自分が、最高の自分。永遠に来ない「いつか」を待つよりは、その不完全で未完成なまま、走ろう。
昨日は「言葉」について綴らせて頂きましたが、「写真」を撮るのも楽しいものです。
私は「言葉」の力を信じています。それは、自分の発する「言葉」を信じていると同じことです。それはつまり、どこまでも「自分」を信じぬく、という信仰に近いものなのでしょう。
人生の中で、どうしようもなく傷ついたり、耐え難い痛みがあるとき。そんなときは、ただじっと動かずに痛みを流して時を重ねることです。サナギのように、ただじっと蛹室の中で時を重ねれば大丈夫なのです。
今日もお越しいただき、ありがとうございます。そのおかげで、一年間書き続けることができました。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
昨日は二十四節気の一つ「処暑」でした。ピークを過ぎて暑さが止む時期という節気。徐々に暑さは穏やかになっていきますが、同時に台風の季節でもあります。
きっと、大切なのは、何かをすることではなくて、まして、何かをやめることでもなくて、いまそのままを認めること。完全無欠だと思い出すこと。
「名古屋大学博物館」を訪れましたので、その訪問記を。名古屋市に長いこと住んでいながら、名古屋大学を訪れるのは初めてでした。
いつも、そばにいる。いつか、また会える。いつでも、会える。きっと、いつでも見守られているのでしょう。
地元・名古屋市にあります「熱田神宮」を訪れましたので、その訪問記を。名古屋の中にあってこんなにも心静かに歩けるところがあることに驚きを覚えましたので、また訪れたいと思います。
1年ぶりに登った多度山とともに訪れた、「多度大社」の訪問記を。
一年ぶりに三重県の多度山に登ったときのお話しです。 地獄のような山登りから、多度の神さまはある奇跡を見せてくださいました。
タイトルの通り、私の「レターポット」に西野亮廣さんから「誕生日おめでとうレター」が届いたことに寄せて、少し綴ってみたいと思います。
先日、中津川の知人の方からトウモロコシを送って頂きました。絶品のトウモロコシをほうばりながら、ぼんやりと「受け取る」ということについて教えて頂きましたので、すこしそれについて綴ってみたいと思います。
私たちの心の中の平安を保つことこそ、この国が経験した途方もなく悲しい戦争を終わらせる、ということなのかもしれません。今日はそんな両親や祖父母が生き時代に想いを馳せながら、一日を過ごしてみたいと思います。
やはり心に浮かんだことは、何でもやってみるべきなんだな、と改めて感じたランニングでした。
先日、名古屋市中村区の中村公園にあります、かの豊臣秀吉公を祀った「豊国神社」を訪れましたので、その訪問記を。
私事ではございますが、おかげさまで今日38回目の誕生日を迎えました。ありがたいことです。私は夏の暑い盛りのこの時期に産まれたのですが、年々この時期になると生と死というものを見つめる時間が長くなってきたように思います。
枯れてしまった茄子でも名残惜しく、まだ水をやっている。けれど、秋が来たら、冬向けの何かを新しく育ててみようかと思っている。
心理学では「才能」のことを「ギフト(gift)」と表現します。それは、才能と呼ばれるものは天から与えられたものであり、誰かに与えるものだからです。
宇多田ヒカルさんがカバーした「少年時代」。ずいぶんと、この動画には救われました。
映画「グレイテスト・ショーマン」のメイキング動画を観ましたが、前に観たときとは違った感想を頂きましたので、それに寄せて綴ってみたいと思います。
生まれた当時は寝返りすら打てなかった身体は、いつしかいろんな動きができるようになります。もう記憶の彼方に飛んでいるかもしれませんが、誰しもがそんなプロセスをたどっているのです。それ自体が、この世界の完璧なシステムの中にいることの証明なので…
二度と戻らないこの夏が過ぎ往くことに、センチメンタルになってしまうこの季節。今年はこ猛暑の影響なのか、思いがけず早くツクツクボウシの鳴き声を聞いたことで、一層そんな感傷的な気分になりました。
51対49でいい。そんな考え方が少しでも持てると、「完璧主義」とうまくお付き合いできるのかもしれません。
「仮定」を持つことは、現実をその方向に動かしていく、ということに他なりません。人は、自らができることしかイメージできないのですから。いろんな仮定を持つことは、人生を歩く幅を太くし、豊かにしてくれるようです。
チャック・スペザーノ博士の著書、「傷つくならば、それは『愛』ではない」から、コミットメントについてのお話を。
梓川サービスエリアのイートインの男性の店員さま。おかげでとても暖かな気持ちになれました。どうもありがとうございました。