2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧
「アタシ思うんですけど、スペードのエースは切らないからこそ価値があるんですよ。切ってしまったら、もう後には何も残らないじゃないですか」
お誘いいただいて、刈谷市の「魚屋ごんべえ」さんを再訪した。お誘いいただいたのは、この「魚屋ごんべえ」さんを紹介頂いたご縁の知人で、その知人のお店の周年祝いとお誕生日のお祝いを兼ねて。
明日は秋のGⅠシーズンの開幕を告げる電撃の6ハロン、スプリンターズステークス。その思い出に寄せて、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。
先日ご紹介した、根本理加さんのクリスタルボウルに寄せて綴らせて頂いた「同時代に響く音色」に、理加さんご本人のブログでご紹介を頂きました。
押し入れや収納棚の中、あるいはベッドの下といった、普段は「見えない場所」と、「潜在意識」はつながっているらしい。
倉乃介さんを初めて訪れてから、1年と少しになるだろうか。何度来ても、新しい感動がある。新しいお店の開拓もいいが、やはり同じお店と時を重ねる楽しみは、何ものにも代えがたい。
根本理加さんのクリスタルボウル演奏CD「Crystal Bowl Resonance」に寄せて、理加さんのクリスタルボウルへの想いを執筆させて頂きました。
だいじょうぶ、という言葉は、二義的である。結局のところ、だいじょうぶなのだ。秋が訪れ、いつしか通り過ぎていくように。そして、またいつか円環を描いて戻ってくるように。だいじょうぶ。
久しぶりに中山競馬場を訪れた。直近で訪れたのは、いつだったか。たしか、ディーマジェスティが勝ったセントライト記念だったような気がするから、ちょうど3年ぶりか。
自分はどんな愛し方をすることができるのか。 それを知っておくことは、人間関係においても、恋愛においもて、ビジネスにおいても、変わらず大切なことなのだろう。
UKの誇るロックスター、ロッド・スチュワートが数々の名曲をカバーしたアルバム、「A Spanner in the Wroks(邦題:ユア・ザ・スター)」に寄せて。
ほんとうに魅力を感じているとき、人は根源的な怖れを抱く。それが自分のコアな部分であればあるほど、怖いものだ。その怖れを乗り越えるには、あの人のために、という想いなのかもしれない。
パリ市の紋章に刻まれた標語である、「揺蕩えども、沈まず」、そのままに。大きな何かに、導かれているのかもしれないのだから。されば、いま起こっている目の前のことに、意味づけは不要。ただ、受け入れ、委ね、流されるのみ。
松坂投手と同時に、この人を観に来た。背番号7、根尾昂選手。前回「昭和の日」に観に来たときは怪我で欠場していたが、この日は元気に3番・ショートでスタメン出場していた。
「FACT FULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣、ハンス・ロスリング他共著、日経BP社刊」に寄せて。
年々飲酒する人の割合が減ってきていると聞くが、そうした世の流れから、ソフトドリンク、ノンアルコールカクテルを充実させてくれるお店も増えるような気もする。楽しみにしていようと思う。
千年の昔から、愛でられてきた秋の名月。そんな月を見上げながら、刈谷市にある「魚屋ごんべえ」さんを訪れた。
「自己肯定感」とは、いつかどこで忘れてしまっただけのもの。それは、ただ、思い出すだけのもの。それは、雲の上には青空がいつもあることを、ただ思い出すように。
自己肯定感とは、どんな自分も肯定する、という感情。自己有用感とは、自分が誰かの役に立っている、という感情。似ているようで、大きな違いがあるこの二つの感情について、考えてみたい。
アタマは何もしていない時にこそ、はらたく。考えようと思えば思うほど、思考は単なる作業になり、堂々巡りになる。 何もしない「空き地」のような時間を持つこと。
今こうして足を踏み出し、息を吸い、太陽をまぶしく思う私が、いつか誰かが見た夢だとしたら。あまり夢や願望を叶えようと、躍起になることもないのかもしれない。どうせ、いつか叶ってしまうのだから。
「レターポット」というサービスについて、書いてみたい。年々「贈り物」をするハードルは高くなっていくばかり。されど、この「レターポット」は、そのハードルを下げてくれるように感じる、いわば「電報2.0」なのだと思う。
人気コンサルタントの椎原崇さんの新著「幸せのプログラミング ~あなたは、幸せになるように設計されている」(廣済堂出版)の書評を。
競馬ブログ&WEBフリーペーパー「ウマフリ」さんに寄稿させて頂きましたこちらの記事のご感想をご紹介します。何がしかの表現をしたときに、感想をいただくというのは、何ものにも替えがたいくらいありがたいものだと実感しております。
夢を叶えることや、願望実現に抵抗感を覚えるとき。その原因として、二つの可能性があるように思う。一つには、世界や人生に対して拗ねていること。もう一つは、叶うことが分かってしまっていること。
遥かなる眼下に琵琶湖を見下ろす、ブルーベリー畑の絶景。週中の雨予報などどこへやら、夏の強い陽射しに目を細める。滋賀県大津市の「ブルーベリーフィールズ紀伊國屋」さんを訪れた。
夏休みに入る際に、子どもたちが持ち帰ってきた朝顔をベランダで育てている。夏の朝に咲く前の美しい蕾を見せてくれたり、毎日変化があり目を楽しませてくれる。その朝顔が咲いた後の蕾が割れて、タネが出てきた。
夏の終わりに、滋賀県は大津市にある日吉大社を訪れた。
あの日、手を振ってくれて、どうも、ありがとう。 あの日、よく晴れた丘から吹いた風を、きっと僕は忘れない。
両の極は、その人の人生の厚み。 その極が多ければ多いほど、多面体のクリスタルのように輝きを放っていく。