2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧
「いま、ここ」にある瞬間は、どれも美しい。それは、愛についても同じことが言えるのかもしれない。愛とは、いま、ここ、あるがまま。
日常の中で、「いま、自分がしていること」に十分に自覚的であること。一つの呼吸を、一回の食事を、一瞬の風景を、存分に味わうということ。それこそが、マインドフルであるということなのかもしれない。
いつか、誰かに、届く。けれど、もしかしたらそれは、自分ではコントロールできない範疇のことなのかもしれない。だとするなら、書き続けるだけだ。
先日、ハンドメイドのアクセサリーを製作・販売されている方とお話しする機会があった。依頼されている小説で、私が悶々としていることをお話ししたのだが、いろんな角度からお話を聞かせて頂いた。その中でも、「喜んでもらうことを、ゴールにはできない」…
何かを手放すということは、非常に大変なものだ。 ものを捨てるということもエネルギーを使うし、いままで学んできたことといった無形のものならばなおのことだ。 親の影響、先生の教え、過去の経験から得てきたものを手放すということは、想像を絶する怖さ…
2008年の天皇賞・秋の名勝負に寄せて、競馬ブログ&WEBフリーペーパー「ウマフリ」さまに寄稿させて頂きました。
コミットメントは、選び続けること。それは、己の気持ちや感情を感じ続けるということ。それはすなわち、自分の内面との対話を続けるということ。それは、自分を愛する、ということ。この一年近く、断酒はいろんなことを教えてくれている。
ベッドの中で目を閉じるが、なかなか眠りは訪れてくれなかった。それでも、屋根を叩く雨の音はどこか心地よかった。
最もやりたいことに、最もやりたくないことがくっついてくる。お世話になった経営者の方が、「ほんとはプライド高いし、頭下げるの嫌いなんだよ。でも、それで仕事が取れて従業員の生活が守れるんなら、まあ何でもするわな」と笑っていた。
手で触れる、ということには特別な意味があるように思う。治療行為が「手当て」という言葉であるように、古来から人は自らの手の持つ力を認識してきたのだろう。「手当て」とは誰にでも備わっているヒーリング能力なのだろう。
朝に咲く花、夕方に咲く花。時はいつか満ちるもの。起こっていることは全て奇跡で。ただ、それを眺めるように。 揺蕩うように、流れのままに。
「はぁ?なに定時前に寝惚けたこと言ってるんですか?」と彼女は言った。
平成6年の菊花賞の思い出に寄せて、競馬ブログ&WEBフリーペーパー「ウマフリ」さんに寄稿させて頂きました。私が競馬を見始めた頃のスターホースが、ナリタブライアンでした。そのブライアンの思い出をこうして綴れたことに、感慨を覚えます。
一昨日のエントリーで、ネガティブな意味での「甘え」や「怠け」、「逃げ」ではなく、自分にできないことを「仕方ないと諦めること」について書いた。少し時間を置いて考えると、それは「自分への期待を手放す」ことなのかもしれない、と感じたので、少しそ…
目下、執筆中の小説も、20,000字を超えた。ようやく少しずつ、これまでよりも長い物語を書くという作業に慣れてきた。それとともに痛感するのは、毎日変化のある中で、同じテンションで書くことの難しさだ。
もうあと少しで断酒して1年。内面ではいろんな変化がありつつ、続けることができた。
やる前に「いい環境」について考えてみても、実際に自分に合うかどうかは、やってみない分からない。引き続き、「私にとって」ベストな環境を探していきたい。
淡い水色、飴色の葉、燃えるような葉脈。ときに秋は群青色と飴色に似て。今日も世界は美しい。
時の流れに耐えうるというのは、名作のみが持ちうる資質なのだろう。私が好きなエピソードに寄せて、いかに手塚治虫先生が人間という存在を深く、普遍的な視点で見ていたのかということについて綴ってみたい。
書くために、諸々のことを整える。なにごとも、始めてみないと分からないものだ。
変わらないものなど何もないけれど、ただ、その瞬間瞬間にこそ愛は宿るのかもしれない。愛とは、いま、ここ、あるがまま。
ほんとうに、私は今回もこの画面を黒くできるのだろうか。たまらなく、怖い。たまらなく、怖い。それにしても、今回の怖さは別格だ。
空を見上げるとき、人はひとりになれる。ひとり見上げる空は、どんな空も美しい。「ひとり」とは、孤立ではなく、孤独だ。孤立とは物理的であり、孤独はつながりを育む。
世に人は無数にいれども、私が「名前」を呼ぶとき、その対象はただ一人でしかない。名前を呼ぶことで、私は世界のどろどろとした混沌のスープの中に浮かぶその対象に、手を差しのべ、意味を与え、引き揚げる。それは、愛された記憶を呼び覚ます。
旅に出る前は、心が揺れる。もしも、心が揺れるならば、それは旅に出る前なのかもしれない。
報われる保証もなにもないところで、挑戦することをやめずに継続すること。それは非常に困難なことである。されど、もし諦めずに挑戦することをやめない者たちがいるのならば。それはもはや、才能と呼べるものなのだろう。
ずいぶん久しぶりに、Jリーグを観戦に、名古屋市内のパロマ瑞穂スタジアムを訪問した。
仕事で大阪で開催されている展示会に出かけてきた。名古屋から車で3時間ほど、行くと決めてしまえば、意外と近いものだ。
根本裕幸さんの新刊『子どもの将来は「親」の自己肯定感で決まる』(実務教育出版)に寄せて、書評を。本書で言われている通り、「子育ては自分育て」。そこで学ぶことは、子どもとの関係のみならず、すべての人間関係において大切な学ぶなのだと思わされる…
あなたのこれまでの人生で起こったことが、もしも、あなたの才能を咲かせるためだとしたら。あなたの才能を咲かせるために、みんながいろんな役割を演じてくれたのだとしたら。それはほんとうに残酷で、それでいて美しい質問だった。