大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「靴磨き」は自分を大切にする習慣だと気づいた件

靴磨き。今まで気が向いたら磨く、くらいしかしていなかったけれど、とても自己肯定感の上がる習慣だと思うので、続けてみようと思う。

いつか、また会える

また遊びたいな、と息子が呟いた。私はそれを聞いて、ペダルを漕ぎながら確信をもって答えた。ああ、また会えるさ。

鰆の塩たたきに沈む ~岡山・「酒囲屋本店」訪問記

岡山県の「酒囲屋本店」さんを訪れたので、その訪問記を。 仕事で訪れた岡山県、実は人生初の訪問。名古屋からだと新幹線で1時間40分ほど、東京までと同じくらいの時間というのが意外だった。 駅前には、桃太郎の銅像が。 お供を連れて、鬼退治に出かける…

癒しとは、ただそこにあるものを受け入れることへの報酬のようなもの

何気ない日常に落ちている奇跡を見つけ、拾うこと。その過程を、人は癒しと呼ぶのだろう。

溢れる水を受け取れなかった男の話

悲しい報せを聞くと滲み出てくる、20代の苦い記憶。私の宿痾のようなものなのだろうか。

ただただ、自分を信じること。

自分を信じることに、根拠なんて求めなくていい。ただただ、自分を信じること。ただただ、自分を信じること。

「何を信じるか」というのは人生の前提をつくり、それは選べる。

「何を信じるか」ということは、その人の人生の前提をつくります。そして大切なのは、何度でもそれは選び直すことができるということです。

絶望と、希望と  ~堀江貴文さん著「ゼロ ~なにもない自分に小さなイチを足していく」に寄せて

堀江貴文さん著「ゼロ ~なにもない自分に小さなイチを足していく」を読んだので、感じたことを綴ってみたい。

霜降に、古い写真に写るあの日の笑顔を想うこと

その日も例年と変わらず脇役ではあったと思うが、私は笑っていたようだ。きっと、あの日の父と母と同じように。

【ご案内】菊花賞に寄せて、亡き父の思い出を「ウマフリ」さんに寄稿させて頂きました

20年前の菊花賞に寄せて、「ウマフリ」さんに寄稿させて頂きました。先頭を駆け抜けた芦毛の名馬に寄せて、亡き父との思い出を綴ってみました。

親、という人生のキーストーンについて

チャック・スペザーノ博士の「傷つくならば、それは愛ではない」の一節から引用したい。「自分が両親の期待どおりでないと思うのは、両親があなたの期待どおりでなかったということ」

会いたい人に、会いに行く。

絵本「えんとつ町のプペル」で号泣して以来、ブログやオンラインサロンで勇気を頂いている、西野亮廣さんの講演会を訪れた。生で西野さんのお話を伺うのは初めてだったが、その熱量の才能と努力には圧倒された。

季節がめぐる、という癒しについて

今日も、季節はめぐる。戻らないように見えるそれは、大きな癒しのようにも見える。

なぜ、男は泣いてはいけないと言われるのだろう。

なぜ一般的な社会通念として、男が人前で泣くのはみっともない、というような価値観が今まであったのだろう。それは、「交通ルールを守りましょう」、「街をきれいに」というような標語のように、現象面は逆だからなのかもしれない。

「なくなる」という強固な思い込みに気づいたお話し

どうも私は、「何かがなくなってしまう」ことを極度に恐れるようだ。「なくなってしまう」ことは実は思い込みで、何もなくなったり失われたりすることはないかもしれないのに。

忘れるということは、思い出すためにあるのかもしれない 〜愛知・犬山市「お菓子の城」訪問記

愛知県は犬山市にあるテーマパーク、「お菓子の城」を家族で訪れた。

ストラディバリの全盛期は60歳を超えてからだった

アントニオ・ストラディバリは若くして弦楽器の製作者としての名声を得ていたが、彼の作品のなかでも素晴らしいのは60歳を超えてからのものだそうだ。

【ご案内】秋華賞に寄せて、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。

今日は3歳牝馬の3冠最終戦、秋華賞。その想い出に寄せて、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。

ちゃんと、絶望しよう。

彼我の差を認めて、今の自分の至らなさに、ちゃんと絶望しよう。

ブログが書けなくなってきたので、なぜ書いているのか内省してみる

原点に戻って、なぜブログを書いているのか内製してみようと思う。

CHAGE and ASKA「PRIDE」に寄せて

チャゲアスが好きなのだが、その中でも「PRIDE」は唯一無二の名曲だと思う。

気づけば早くなった夜の帳に思うこと

変わるようでいて、変わらない。日々変わり続けることが、変わらないこと。

不安と大切なものの関係 〜映画:「皇帝ペンギン」に寄せて

2005年公開のフランスの映画、「皇帝ペンギン」。私は小さい頃からペンギンが好きなのだが、この映画も公開されてからDVDを買うほどに大好きな映画になった。

真夏日、夏空、雌、寒露、金木犀

とうに10月の声を聞いて久しいのに、まるで夏に逆戻りしたかのような日だった。日本海に抜けた台風の影響なのか、真夏日に迫るような気温だった。何より、陽射しが力強い。

空の雲、地上の染み

毎年猛暑、猛暑と言っているような気がするが、今年の夏は別格に暑かった。41℃という見たこともない予想気温を幾度となく見た。日中に陽射しのあるところを歩いていると、まるで自分がローストされているようで気が遠くなりそうな暑さだった。

自分を愛するということ、価値を伝え続けるということ

どんなネガティブに見える欠片の中にも、その光の輝きを見続けるという覚悟が持てたとき、人はその言葉たちの「わたし」を「あなた」に変換するようになる。自分の鏡のような周りの人に、その価値を伝えることができるようになる。

若き日の情熱の炎はかたちを変えて 〜ブラームス、ピアノ・トリオ第1番、第1楽章に寄せて

ブラームスの音楽に寄せて極私的に書いてみたい。今日はピアノ三重奏曲第1番ロ長調、第1楽章。

その唯一無二かつ天下無双の才を、ナメてんじゃねえ。

表面上に見える感情と、内面に抑えつけて沈んだ感情は、それぞれの表裏陰陽を示している。結局は、どちらも自分を愛するというプロセスの裏返し。

ブラームス、ヴェンゲーロフ、ヴァイオリン・ソナタ、そして石川さゆり

ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調、第2楽章が好きだ。初めて聴いたのは、20歳か21歳か、その頃だったように記憶している。サントリーホールかどこかの大ホールで、マキシム・ヴェンゲーロフの演奏だった。

「答え」は自らの内側にしか、ない。

「答え」は日常の静寂の中にある。きっとあなたの、内側にある。