2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧
願いがすべて叶うのだとしたら、どんな世界を作るのだろう。案外と、いま目に映る世界、そのままなのかもしれない。皐月の終わりに、そんなことを考えた。
2021年、日本ダービー。シャフリヤールを見事に導いた、福永祐一騎手。経験とは、技術ではない。それは、蓄積された判断の重みであり、人生の厚みである。それは、ここぞという瞬間に、余裕をもたらす。
2009年のダービーは土砂降りの雨のあと、超不良馬場で開催されました。 そのダービーを現地観戦していた思い出に寄せて、ウマフリ様に寄稿させていただきました。
いまの目の前の原稿が、いまこの時の自分が、100点満点なのだろう。 その偉大さ、素晴らしさ、大きさを、才能を受け入れよう。
あの日誰かに会った記憶を、私が覚えているように。あの日私が訪れたことを、誰かが覚えているのだろうか。昨日、今日、明日。今日もまた今日とて、今日が続いていく。
これぞ新緑、薫風。車から降りた途端に、そんな言葉が口をついて出てきそうになった。5月下旬の、熱田神宮である。
断酒935日目。断酒してから質が上がった、睡眠について考えている。それは、身体を休養させることだけではないように思う。眠っている間、いろんな奇跡が起きている気がする。
分かりやすいことに締切は重なるのだ。こんなに重なるはずじゃなかったのに。そう恨めしく思いながら、パソコンの前に座る。
2021年、オークスを制した、ユーバーレーベン。その血統の美しさよ。岡田総帥が残した夢、その尊さ、そして偉大さ。それを想わずには、いられなかった。
小さなものを愛でていると、大きな愛に包まれるようにも感じる。 花は誇らず、そこにあるだけ。 花は誇らず、ただ咲く。
ただ、うたかたのように湧き上がっては消えてゆく、自らの感情を見つめること。 現れては消えゆき、変わりゆく感情を、見つめているという事実だけが、変わらない。 それが、内省と言える。
思春期のころ、自分の身体の中で最も忌み嫌った部分が、今になってしまえば、愛の象徴にも思える。 そう思うと、人生のおけるいい/悪いなどは、ほんとうに分からないものだ。
過去と記憶は、どこかの重ね絵のように。 いまとともにあるように思える。 もしそうだとするなら、何も失ってもいないし、どこへも行ってもいない。 このいま目の前に、すべてがともにある。
愛知県一宮市「尾張猿田彦神社」に参拝し、祓詞を詠んできました。
雨の日は、どこか懐かしい。 澱のように積もった何かを、雨音が流してくれるからだろうか。
2021年ヴィクトリアマイル、グランアレグリア。残り200mから見せた独走、 歴史的名馬たちを重ねたくなる脚だった。控えなさい。そんな言葉が聴こえてきそうな末脚。
先日、ひとりでに芽を出し、咲いていた不思議な花の正体が分かりました。「紫蘭(シラン)」のようでした。
小さな白い花。スノーデイジー。 ノースポールとも呼ぶらしい。 どこかお雛様の三人官女のようなその姿を、しばし眺めていた。
節目節目で、私は一人になってきた。もし、それがほんとうだとしたら。それは、出会うために一人になっていたのかもしれない。そんなことを想う帰りしな、朝顔のいた道を通る。
断酒して922日目。どんな選択をしたとしても、行き着く先は同じ。 そう考えると、どんな選択をするかは、あまり大したことではないのかもしれない。ただ、流れのままに。
熱田神宮を参拝した。駐車場に車を停めて降りると、緑の鮮やかさが目に飛び込んできた。目に眩しいくらいの、新緑。
アイデンティティもまた、変わりゆき、移ろいゆく。自分は夏生まれだと思っていたのに、実は秋生まれであることに気づいたり。どれがほんとうの自分というわけでもなく。その移ろいゆくことこそが、唯一不変なのだろう。
2021年NHKマイルカップ、シュネルマイスター。GⅠらしい厳しい流れのレースに、名手の競演、手に汗握る直線の攻防。無観客開催が惜しまれる熱戦だった。
今日はGⅡ京都新聞杯がありましたが、その思い出に寄せてウマフリ様に寄稿させていただきました。 時に1994年、「怪物」と呼ばれた全盛期のナリタブライアンを差し切って、あっと言わせたスターマン。先日、スターマンが引退した後に所属した乗馬クラブに取材…
理(ことわり)や、損得から、遠いところにこそ、祈りという存在がある。それはもしかしたら、いまの私たちが理解できないだけで、理にかなった行為なのかもしれないが。時に訪れる、祈るしかないような時間に、それを強く思う。
3月に当ブログの諸々をカスタマイズしましたが、また少しブログの形を整えております。グローバルメニューと、お問い合わせフォームを設置いたしました。
立夏、夏立てる日。運ばれてくる空気は、どこか熱量を帯びたような色をしてきた。足元に見る花は、原色のように鮮やかな色が多くなった。名も知らない小さな虫を、よく見かけるようになった。あふれるような生命力の季節、太陽の季節。
5月は、風が薫る月。それが自分事として、体感できたような気がした思い出に、いまの景色を重ねる。ほんとうに、気持ちのいい季節になった。
後から振り返って残るのは、アウトプットしたものだけだ。不出来なまま、不完全なまま、発展途上のまま、間違いだらけのまま、傷だらけのまま、走ろう。
2021年、天皇賞・春。福永騎手の見事な騎乗と、それに応えたワールドプレミア。長距離戦の魅力を凝縮したような、素晴らしいレースだった。