2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧
赤い電車よ。父の愛した、赤い電車よ。今日も走れ。たくさんの人を、その想いを、その人のいまを、乗せて。 走れ、赤い電車。
いつの間に、こんなに暖かくなったのだろう。少し夏を想起させる車内の熱気に、春の訪れどころか、初夏の気配すら感じる。季節は留まらない。留まっては、くれない。
誰しもが、「当たり前」を持っている。だとするなら、みな裸の王様の逆であり、誰にも真似できない才能を持っている。それは、一人では気づけない。だからこそ。人は言葉を持ち、誰かと話し。ときにカウンセリングを受けたりするのだろう。
2021年、高松宮記念。69秒2の、紛れのない力勝負。それを制したのは、ダノンスマッシュと川田将雅騎手だった。
球春、白球、ドラゴンズ。父の愛は、今年もつながれていく。
プロフィールの作成とあわせて、大嵜直人のミッションステートメントを作成しました。
いつの間にか、春も本番のようで。 外に出ると、さまざまな色の桜が咲いているのを見かける。 時に、春分が次侯、桜始開さくらはじめてひらく。
あいまいなままでいる。そのままでいる。春色の空。見上げながら、癒しについてそんなことを想う。
自分に還る時間。何人にも与えない時間。世界に自分だけの時間。誰にもならない時間。裸足になる時間。ストレッチは、そんな時間のようだ。
当ブログの諸々をカスタマイズしております。あわせまして、プロフィールページを改めて作成しましたので、ご高覧いただけましたら幸いです。
受け取ろうが、受け取るまいが。 ただ、そこに在った。
春分の日、彼岸の中日。影が深ければ、光もまた眩しい。
ふと目に映る、枯れゆく薄桃色。咲く花が美しければ、枯れゆく姿もまた美しい。美は、残酷さの際にあるからだ。
人の望み。その、喜び。 望みとは、喜びなのか。
もしも、仮に。神さまがいるとするなら。あんなふうに、変な関西弁を話すのかもしれない。そんなことを、思った。
早朝の真清田神社を訪れる。 手帳を見てみたら、ちょうど一月ぶりの訪問だった。
時に、啓蟄。 あるいは、菜虫化蝶、なむしちょうとなる。
誰かが信じていても、誰も信じていなくても。皆が待つにぎやかな桜並木でも、誰も通らない深山の淵でも。花は、咲くのだ。だからこそ、こころ惹かれる。
いまから30年前の春。桜花賞トライアル、報知杯4歳牝馬特別。稀代の快速牝馬・イソノルーブルと、気鋭の若手だった松永幹夫騎手のコンタクト。そんな思い出に寄せて、ウマフリさんに寄稿させていただきました。
風と、光と。訪れた、春とともに。桃始笑、ももはじめてわらう。
今日のわたしは、いつかの日の誰かでもあり。瞬間は、永遠でもある。
母の命日に、ふと寂しさと罪悪感を、まだ握りしめている自分に気づく。それがなくなってしまったら。 それがなくなってしまったら、母を、忘れてしまうような気がするから。寂しさと、罪悪感で、故人とつながろうとしているのかもしれない。
ときに、近い存在ほど、 自分の中にない選択肢を示してくれる。そのどちらが正しいとか、優れているとか、間違っているとか、そういう話でもない。そこには、ただ、違いがあるだけ。その違いがあることを、認めるだけ。
いつもの通り道、ふとしたピンク色に気づく。いつもと違う、まんまるとした、やわらかな蕾、やさしい色合い。
手桶を返して見上げた空は、先ほどとずいぶんと模様が変わっていた。雲は、あんなにも早く流れるのだな、などと思った。
春が流れ、過ぎ去っていく。そこに、何かが残るとしたら。その春を愛でる、わたし、という自己のようにも思う。
ときに心配しながらも、季節の流れを見つめ、身をゆだねること。それを、ときに信頼と呼ぶのだろう。
断酒して853日が経過した。どうも「決める」というより、「あきらめる」という方が、ものごとが決まり、流れていくような気がする。
2011年に放映されたJRAの同シリーズは、新規顧客をターゲットにしてた例年の傾向から外れ、既存顧客にフルスイングした異色の内容だった。それだけに、いまも史上最高のTV CMだと思っている。
熱田神宮の境内の椿は、いまが盛りのようだった。夜半からの雨に濡れて、どこか寄り添うような、二つの花。傘を叩く雨音とともに、それを眺めていた。