2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧
2018年最後のエントリーをどうするか迷ったが、ここはやはりチャック・スペザーノ博士の名著「傷つくならば、それは愛でない」に締めて頂こうと思う。
残っていた雪に騒ぐ子どもたちの声だけがこだまする。母の愛した、高校。
得難い歌に、出逢えた。人は、心が動くと単純な五文字しか思い浮かばなくなるのだろう。ありがとう。それしか、思い浮かばない。
人生の季節が移り替わっても、聴きたい曲。私にとって、「Life」はそんな曲である。
クラムチャウダーは殻付きのアサリからつくるのが吉。貝、甲殻類、その他魚類は、その茹で汁が本体だとあらためて実感する旨さだった。
12月26日という一日が、好きだ。クリスマスが終わった祭りのあとの寂寥感と、年末に向けた慌ただしさのあいだの、エアポケットのような不思議な日。
今日は「くりすます」だってね。おいのりをささげて、「けーき」と「ちきん」を食べる日だけれど、「さんたさん」がぷれぜんとをくれる日でもあるよね。
チャック・スペザーノ博士の名著、「傷つくならば、それは「愛」ではない」のなかの一節が響いたので、それについて書いてみようと思う。
心の傷は、隠すほどに疼き、晒すほどに愛される。そんなことを思う、曇天模様の年の瀬だった。
史上最高のレースとも称される、TTG三強の激突となった1977年の第22回有馬記念。杉本アナの名実況とともに、時代が変わってもいつまでも語り継ぎたい、競馬の本質が凝縮された2分35秒4の奇跡。
気づけば、もう明日が冬至。冬の寒さはまだまだこれからが本番だが、明日を境に昼間の長さは少しずつ少しずつ伸びていく。
つらいときに聴きたい音楽。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」は、私にとってその代表格だ。
断酒して47日になった。今日は「私のお酒の失敗談」を書いてみようと思う。
今日は、久しぶりにチャック・スペザーノ博士の名著「傷つくならば、それは愛ではない」より。
心から大切な人を想うとき、人はどんな言葉を紡げるのだろう。その人のことを大切に想う気持ちを伝えようとしたら、どういう言葉を書いたらいいのだろう。
日々いびつな器を愛でるとともに、私を愛でようと思う。いびつで傷だらけで、不完全で未完成な、この私を。
平成の競馬ブームの立役者がオグリキャップなら、昭和のそれはハイセイコーである。 残念ながら、私はいずれもその両馬の走りをリアルタイムで見ることは叶わなかった。 初めて見た三冠馬はナリタブライアン。1994年秋、淀の直線を独走する彼を、関西テレビ…
言えなかった言葉たちの裏には、どうしても愛してほしかった自分がいる。
牡蠣の時雨煮、できあがり。いい色合いで美味しそうにできた。ご飯のおともに少しずつ冬の滋味を頂くとしよう。
先週末は急に寒くなってきたので、おでんをつくってみた。
断酒してから1ヶ月だが、ここに記しておきたい変化点が二つ。
「痛み」は、最初はある特定の事象への反応として現れる。
虹が出ていた。身体の末端が凍えていたけれど、どこか暖かくなった。
酔って夜の時間を早巻きにすることがなくなった私にとって、師走の夜は、どうも少し長すぎるようだ。
また会えるかな。また会いたいな。
みんなここにいる。愛はどこへもいかない。
なぜ人はサービスエリアに来るとソフトクリームを食べたくなるのだろう。
静かに私は目を開ける。私はどこにも行っていない。私はどこにも行かない。いまここに、いる。
2018年11月30日、特急しらさぎに揺られて描いた私の物語を、ここに残しておこうと思う。
また会いたいな。また会えるよね。きっと、また会えるよね。