2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧
「オンライン化すればたいていのことは解決すると思ってました。オンラインで全てがうまくいくわけでもないんですよね」
ひょっとしたらその記憶は、今日と同じ「昭和の日」だったのかもしれない。水面の色に、そんな過ぎゆく日を思い出す。そんな、令和はじめての「昭和の日」だった。
いつか、どこかで。また、会えるような気がするならば。忘れるということは、できはしないようにも思う。
走ること、生きること、楽しむこと。 少しずつ、走ることを楽しもう。Enjoy Run, Enjoy Life.
また、あのブルーベリーの実る丘から、琵琶湖を眺めるのを楽しみに。そのジャムとパンの味に癒されながら、その日を楽しみに。
名残の桜の、さらに、名残。けれど、この桜は、最も遅く咲いた桜なのだろう。その桜が、最後まで咲き誇る。
断酒してから、539日が経過した。ほぼ1年半が過ぎようとしている。積み重ねには、価値を見てもいいのではないかと感じる。
花冷えの中に、春の忘れもの。名残の、桜。花冷えという言葉があるように、この時期の上着というのは悩ましい。それでも。心地よい風に、半袖で過ごせる季節は、もうすぐなのだろう。
もしかしたら。クッパは、マリオに「負けてあげていた」のかもしれない。マリオが勝ちやすいように、わざわざ舞台を整えて。負けてやれ。 花を持たせてやれ。自立を、手放して。勝たせてやれ、と。
七十二侯では、「葭始生、あしはじめてしょうず」。水辺の葭が芽吹き始め、目に見る植物が緑一色に輝きはじめる。かの日本書紀にも「葦原中国」の名がある通り、古来より私たちはその色を見つめてきたのだろう。
以前に私が執筆させて頂きました作品を、朗読いただく機会を頂きました。朗読いただく作品は、 カウンセラー/手紙屋の宮本朋世さんのご依頼で執筆させて頂いた「神降ろし」となり、宮本様ご本人が朗読されます。
2020年皐月賞、コントレイル。その末脚、薫る風を運んでくるように爽やかで、そして鮮やかだった。その末脚を爆発させた福永騎手の手綱も、また見事なものだった。
桜は、名残を愛でたくなる。その散り際、花びらの吹雪を愛でながら、来年の再会に想いを馳せたくなる。
インターネットも、パソコンも、スマホも、コロナウイルスもなかった子ども時代を過ごした私たちが、いったい子どもたちに何を教えられるのだろう。何を、与えられるのだろう。つくづく、そう思う。
時に、万物清らかな清明。 日中は、春というよりも初夏を感じる汗ばむ陽気になってきた。花が咲き、空は青さを増して澄み渡り、風に新緑の香りを感じる。 春が深まるにつれて空気は潤い、冬の間はなかなか見られなかった虹が出やすくなる時期。 七十二侯では…
人は、いつでもどんなときでも、幸せを感じることができる。それは、野にそよぐ一輪の花を見ることでも感じられるし、あるいは空を見上げることで感じることもできる。それは、人に与えらえた、もっとも偉大な力の一つなのだろう。
"Stay home"ならば、"Talk someone"が必要だ。誰かと、話そう。また、笑顔で飲みに行くために。
2020年桜花賞、デアリングタクト。ターフに散らばる奇跡を集めて。こんなときだから、サラブレッドが走る奇跡が沁みる。
葉桜と、ツツジの色を愛でながら。過ぎゆく春を惜しみながら、次にやってくる新緑の季節を想う。
思い出深い旅は、絵葉書と一緒に。また、旅をしよう。訪れよう。
「Stay home」ないまだからこそ、手紙を書こうと思う。たいせつな人へ、その笑顔を想像しながら。想いを、込めて。手紙を、書こう。こんなときこそ、手紙を。
息子が要求してくることは、すべて私に必要なものなのだろう。私が父にしてほしかったことを、息子にさせてくれようとしている。与えてほしかったことを、与える機会をくれているのかもしれない。
永遠に続く冬がないように、過ぎない春もまた、無い。人と人の関係性もまた、そのような順番の中にある。どのような関係であれ、各々の立場はいつか入れ替わる。それは、いつかのシーソーのように。
葉桜が好きだ。満開の桜も、もちろん美しい。これから花を開かせようとする蕾も、また美しい。けれど、葉桜の美しさは格別だ。
幼稚園から小学校に上がるときに転校した私は、なかなか小学校の友だちというものができなかった気がする。一人で壁当てをしながら、寂しさを噛みしめていた。そんな私の寂しさを、マリオはいつも癒してくれていたのかもしれない。
足元を見れば、今日の強い風に散ったのか、すでに多くの花びらが。地の花びらは、どこか頭上のそれよりも、濃い色をしているように思えた。
トンネルをくぐりながら、落涙する私に、やさしく手を差し伸べてくれるピンクの枝。せめて、忘れないでいようと思った。2020年の、清明を。
就職活動で、連戦連敗を喫する私を救ってくれることになる話があった。採用・不採用は、私のコントロールできる範囲ではない、と。誘ってくれた友人と、その講演会の男性には、感謝している。
ある選択の正解を出すことが、悩みの解決なのではない。その選択がどうでもよくなることが、解決の本質なのだ。どちらでも正解で、どちらでも不正解。
「愛しさ」が「かなしさ」であるのならば。そうした祈りの対象への「愛しさ」は、「かなしさ」と読めるのかもしれない。卯月の雨は、悲しく。どこか祈りを誘っているように思えた。