大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。それでも、愛することを諦めきれないあなたへ。

人の縁とつながり

空飛ぶカウンセラー、ヤタ(椙山眞伍)さんのカウンセリングに寄せて。

ヤタ(椙山眞伍)カウンセラーと出会ったのは、2018年の頃だったでしょうか。

与田監督、おつかれさまでした。そして、3年間ありがとうございました。

与田監督、おつかれさまでした。 そして、3年間ありがとうございました。

彼岸花に、書籍を捧ぐ。

墓前に、はじめて私の原稿が載った著作を捧げてきました。 季節がめぐり、いつかと同じように咲く、彼岸花とともに。

将棋と、祖父の思い出と。

人の愛し方には、いろんな愛し方があります。 時に、手加減をしてあげる、という愛し方もあるのでしょう。 けれど、一度も勝ちを譲ってくれなかった、祖父の愛し方が、折に触れて思い出されるようです。

いつかきみも、そう思うことがあるのかな。 〜蝉取り戦記2021

きみがむすこで、よかった。おとうさんとおかあさんのむすこでよかった。 いつか、きみも。 そう思うことがあるのかな。

夢中になることと、「さびしさ」が結びつくことについて。

夢中になるためには、ひとりにならないといけない。ひとりにならないと、夢中にはなれない。ともすると、そんな観念がわたしの中にはあるように感じます。

望郷。

どこか故郷の記憶は、晩夏と結びついている。故郷と、生まれた季節というのは、どこかつながっているのだろうか。

クワガタの帰還、生命の神秘と奇跡。

飼っていたクワガタが冬眠から覚めた。冬眠とは、生命とは、なんと不思議なものだろう。 寒い冬をじっと耐えて待つ、その小さな身体を想う。死んでいるのか、生きているのか分からないような状態でも、たしかにそこに生命があったのだ。

笠松を歩く。 〜桜の下、赤い電車が今日も走る

赤い電車よ。父の愛した、赤い電車よ。今日も走れ。たくさんの人を、その想いを、その人のいまを、乗せて。 走れ、赤い電車。

球春の到来、つながれる父の愛。

球春、白球、ドラゴンズ。父の愛は、今年もつながれていく。

変な関西弁を話す神さまのこと。

もしも、仮に。神さまがいるとするなら。あんなふうに、変な関西弁を話すのかもしれない。そんなことを、思った。

寂しさ、あるいは罪悪感で故人とつながろうとすること。

母の命日に、ふと寂しさと罪悪感を、まだ握りしめている自分に気づく。それがなくなってしまったら。 それがなくなってしまったら、母を、忘れてしまうような気がするから。寂しさと、罪悪感で、故人とつながろうとしているのかもしれない。

近い存在ほど、自分の中にない選択肢を示してくれる。

ときに、近い存在ほど、 自分の中にない選択肢を示してくれる。そのどちらが正しいとか、優れているとか、間違っているとか、そういう話でもない。そこには、ただ、違いがあるだけ。その違いがあることを、認めるだけ。

言えることは、癒えること。

言えることは、癒えること。出てくる言葉に、何も色をつけず。ただ、流れていくように。

ヒーローインタビュー。

子どものころ憧れた、ヒーローインタビュー。とりとめもなく、そんなことを思い出す。そんなインタビューを、していきたい。

乙女の祈りに。

母も、同じところで、いつも止まっていたように思い出す。ぼんやりとした夜に、よくピアノを弾いていた。

足元を見つめながら。

腰をかがめ、汚れていなさそうなものを選んで、拾っていく。原始時代の名残か、こうした収穫作業というのは楽しいものだ。

福はうち、鬼も、うち。

今日は節分、冬と春の境目。家の外から家の内へ。敷居を跨ぐときの、その敷居。そんな存在が、節分なのかもしれない。

行けるかどうか分からなくても、チケットは取るんだよ。

「行けるかどうか分からなくても、チケットは取るんだよ」よく母は、チェロを弾いていた私に、そう言ってくれた。「たとえ行けなかったとしても、『行ける権利を買った』と思えばいいから。だから、行きたいコンサートやらがあったら、チケットは取るんだよ…

ラグビーのフルバックのように。

ラグビーを観ていて、フルバックの選手が活躍するたびに、父の言葉を想う。

西のお山と、冬の朝の氷と。

「お山に雲がかかってるから、明日は雨かもね」遠く西の彼方に見える山脈を見ながら、よく祖母はそんなことを言っていた。

キラキラにこころ惹かれて。

なぜ、男の子はキラキラに惹かれるのだろう。不思議だ。理由はなくとも、そのキラキラは、私の童心と寂しさを、大いに満たしてくれた。

せなか、べちゃべちゃ。

「せなか、べちゃべちゃ」電気をつけて娘の背中を触れると、パジャマがしっとりとしていた。

もう、一人で頑張る時代は終わったんだなと、改めてマリオに教えられながら。

もう、一人で頑張って、ミスが許されない時代は、終わったんだな。一緒に、行けばいい。派手に飛び跳ねる画面の新キャラを眺めながら、私はそんなことを改めてマリオに教えられるのだった。

あの日、大池公園で食べたハンバーグ弁当の味を、忘れない。

あの日、大池公園で食べたハンバーグ弁当の味を、忘れない。それを思い出すと、また頑張れる。

ブランコと無価値観、あるいは罪悪感か。

大寒波が訪れた週末だったが、よく晴れていた。 午前8時の時点で気温はまだ氷点下だったが、晴れていると外に誘われるものだ。せっかくなのでと、昼過ぎに富士山の遊具がある近所の公園を、息子と娘と訪れる。 午後になって4℃まで気温は上がっていたが、それ…

言葉にする、という強さ。

強さにも、いろんな種類の強さがある。思いつくだけでもいろいろな強さあるのだが、「言葉にする」ということも、ある種の強さなのではないかと思う。

紡がれて、いま。

紡がれて、いま。見上げれば、帯のような雲が広がっていた。

ブルーベリーの実る丘へ。

お休みに入る直前、ブルーベリーフィールズ紀伊國屋さんを訪れることができた。ここを訪れるたびに、癒された。この風景を眺めていると、何かにならなくてもよかった。誰かにならなくてもよかった。

都会を、車で走る。

高速道路の高架下をくぐる、その風景のどこかに。青い帽子をかぶり、メガホンを首から下げて、父と歩く小さな私がどこかに、歩いているような気もする。愛された記憶のかけらが、ちりばめられているような。そんな道を、今日も走る。