人の縁とつながり
誰かのために、人のために。与えたい。そんな想いを持っておられるあなたには、ぜひ根本師匠の「お弟子さん制度」をおすすめします。
「学ぶとはどういうことか?」という視点から、根本裕幸師匠の「お弟子さん制度」についてお伝えします。「お弟子さん制度」に興味を持っておられる方の参考になりましたら、幸いです。
メンタルコーチの宇佐美円香さん(ウサさん)のパートナーシップサロンで、お話し会を開催させていただきました!
久しぶりに、競馬場の雑踏のなかにいました。 感染症禍下で、なかなか気軽に訪れることも難しい時期もありました。 無観客を経て、事前抽選に当たらないと、入場できない時期が続いたり。 けれど、こうしてふらりと競馬場を訪れることができるようになったの…
風薫る5月、田植えの季節。そんな心地よい5月に、京都府宮津市にあります飯尾醸造さんの田植え体験会に、参加してきました。
ヤタ(椙山眞伍)カウンセラーと出会ったのは、2018年の頃だったでしょうか。
与田監督、おつかれさまでした。 そして、3年間ありがとうございました。
墓前に、はじめて私の原稿が載った著作を捧げてきました。 季節がめぐり、いつかと同じように咲く、彼岸花とともに。
人の愛し方には、いろんな愛し方があります。 時に、手加減をしてあげる、という愛し方もあるのでしょう。 けれど、一度も勝ちを譲ってくれなかった、祖父の愛し方が、折に触れて思い出されるようです。
きみがむすこで、よかった。おとうさんとおかあさんのむすこでよかった。 いつか、きみも。 そう思うことがあるのかな。
夢中になるためには、ひとりにならないといけない。ひとりにならないと、夢中にはなれない。ともすると、そんな観念がわたしの中にはあるように感じます。
どこか故郷の記憶は、晩夏と結びついている。故郷と、生まれた季節というのは、どこかつながっているのだろうか。
飼っていたクワガタが冬眠から覚めた。冬眠とは、生命とは、なんと不思議なものだろう。 寒い冬をじっと耐えて待つ、その小さな身体を想う。死んでいるのか、生きているのか分からないような状態でも、たしかにそこに生命があったのだ。
赤い電車よ。父の愛した、赤い電車よ。今日も走れ。たくさんの人を、その想いを、その人のいまを、乗せて。 走れ、赤い電車。
球春、白球、ドラゴンズ。父の愛は、今年もつながれていく。
もしも、仮に。神さまがいるとするなら。あんなふうに、変な関西弁を話すのかもしれない。そんなことを、思った。
母の命日に、ふと寂しさと罪悪感を、まだ握りしめている自分に気づく。それがなくなってしまったら。 それがなくなってしまったら、母を、忘れてしまうような気がするから。寂しさと、罪悪感で、故人とつながろうとしているのかもしれない。
ときに、近い存在ほど、 自分の中にない選択肢を示してくれる。そのどちらが正しいとか、優れているとか、間違っているとか、そういう話でもない。そこには、ただ、違いがあるだけ。その違いがあることを、認めるだけ。
言えることは、癒えること。出てくる言葉に、何も色をつけず。ただ、流れていくように。
子どものころ憧れた、ヒーローインタビュー。とりとめもなく、そんなことを思い出す。そんなインタビューを、していきたい。
母も、同じところで、いつも止まっていたように思い出す。ぼんやりとした夜に、よくピアノを弾いていた。
腰をかがめ、汚れていなさそうなものを選んで、拾っていく。原始時代の名残か、こうした収穫作業というのは楽しいものだ。
今日は節分、冬と春の境目。家の外から家の内へ。敷居を跨ぐときの、その敷居。そんな存在が、節分なのかもしれない。
「行けるかどうか分からなくても、チケットは取るんだよ」よく母は、チェロを弾いていた私に、そう言ってくれた。「たとえ行けなかったとしても、『行ける権利を買った』と思えばいいから。だから、行きたいコンサートやらがあったら、チケットは取るんだよ…
ラグビーを観ていて、フルバックの選手が活躍するたびに、父の言葉を想う。
「お山に雲がかかってるから、明日は雨かもね」遠く西の彼方に見える山脈を見ながら、よく祖母はそんなことを言っていた。
なぜ、男の子はキラキラに惹かれるのだろう。不思議だ。理由はなくとも、そのキラキラは、私の童心と寂しさを、大いに満たしてくれた。
「せなか、べちゃべちゃ」電気をつけて娘の背中を触れると、パジャマがしっとりとしていた。
もう、一人で頑張って、ミスが許されない時代は、終わったんだな。一緒に、行けばいい。派手に飛び跳ねる画面の新キャラを眺めながら、私はそんなことを改めてマリオに教えられるのだった。
あの日、大池公園で食べたハンバーグ弁当の味を、忘れない。それを思い出すと、また頑張れる。