大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

エッセイ

「グリーングリーン」という歌のことを、思い出しながら。

娘のピアノの発表会の待ち時間に、プログラムを眺めていたときのことでした。そのプログラムをめくっていると、Grenn」という文字が目に入ったんですよね。その瞬間に、私の脳裏に、「グリーングリーン」という歌のことが思い出されたんです。

なぜ、運命はその人の一番大切なものを奪うのか。

今日は、「何かを失う」「何かを奪われる」ということについて、少し考えてみたいと思います。今日の記事も、何か結論がある話ではなく、私自身、書きながら考えを整理してみたいと思います。

梅雨の合間に、文月の熱田さんをめぐりて。

梅雨の季節ですね。私の住んでいる名古屋でも、実に梅雨らしい空模様が続いております。そんな文月、7月のはじめに、熱田神宮を参拝することができました。

誰にも頼れなかったあなたは、弱かったのか、それとも。

今日は、「誰かを頼る」ことについて、少し書いてみたいと思います。いつもとは違って、結論的なものがあるわけではなく、私自身もわからないところがあるので、書きながら考えを整理してみたいと思います。

迷子と、日曜日の夕暮れ。

「ママ、マンマ…」つたないその言葉を、私に向けられたものだと気づくのに時間がかかったのは、私が「ママ」と呼ばれたことがないからだろうか。それはともかくとして、その男児は、私に向けて「ママ」と呼び掛けていたようだった。

心地よさと蒸し暑さが同居する、水無月の熱田さん。

まだ新緑の名残が残る、6月のはじめ。いつもの熱田神宮を参拝することができました。

光の色に、新緑を想う皐月の熱田さん。

薫風、新緑の季節。着るものも、そろそろ半袖を引っ張り出すような時期。そんな5月に、熱田神宮を参拝することができました。

四半世紀ぶりの神宮球場に、変わらぬ球音ありて。

神宮球場を訪れるのは、いつぶりだっただろうかと、スマホで前回の訪問を調べてみたら、25年ぶりだった。なにしろ、前回訪れたのは、ドラゴンズが20世紀最後にリーグ優勝を決めた試合だから、分かりやすい。

桜と入れ替わりに、静かにツツジが咲くころ。

厳寒のなかに咲く梅の花からはじまり、木蓮、桜、そしてツツジ。移ろいゆく季節を彩る花は、いつも美しいものです。

桜咲く清明、映画の記憶とともに。

何もしなくても、花は咲き、季節は流れていく。ただ、花は咲き、散っていく。今年の桜も、格別に美しかったです。

雨上がりの木々のざわめきを聞く、卯月の熱田さん。

桜が咲かないとか、咲いたとか。そんなことを言っているうちに、もう卯月の声を聞くころになりました。そんな卯月のはじめ、熱田神宮を参拝することができました。

「休む」「眠る」ことに罪悪感を持ってしまう、ハードワーカーさんへ。

がんばってきた人ほど、「休む」「眠る」ことに罪悪感を持ってしまうことがあります。それでも、自分の心と身体を深く愛するためにも、休むことは欠かせません。

満開の木蓮の花は、暗がりを照らす白き灯篭のように。

私の大好きな木蓮も木も、その花を見事に咲かせていました。ほんの数週間前は、固い蕾に覆われていた無数のそれは、いま白き炎のようになり、冬の暗がりを照らしているようです。

春寒の球音に、なにか、すてきなことが起きそうな予感を乗せて。

弥生という言葉には、似つかわしくない寒の戻り。そんな3月のはじめ、バンテリンドームへ野球観戦に行ってきました。

弥生の熱田さんは、やわらかな光のなかに。

風があたたさを含むようになったと思ったら、また寒風が吹く。それを繰り返しながら、春は訪れるようです。そんな、弥生のはじめ、熱田神宮を参拝することができました。

降り続く雨の日々にも、空を見上げる時間は必要かもしれない。

空を見上げること。何かを見上げること。それは、降り続く雨の日々にあっても、大切なことのようです。私たちを自然に笑顔にしてくれるようですから。

「歩く」という行為の不思議さと、引き寄せについて。

類は友を呼ぶではないですが、好きなことをしていると、同じ波長の人が引き寄せられるようです。やはり、好きなことをすることは、大切なようです。

如月の熱田さん、冬の雨は暖かく。

睦月が過ぎ去り、ゆるりと如月がやってきたようです。まだ最も寒い時候なれど、季節の分かれ目、節分ももうすぐ。そんな如月のはじめ、熱田さんを訪れることができました。

春を待ちわびるようになったのは、いつからだったか。

春を待ちわびるようになったのは、いつからだったでしょうか。それは、変わりゆく自分と、変わらない自分と。そのどちらもを愛でるように、なってきたからなのかもしれません。

紅い梅の花を見た日。

紅梅。梅の花。この冬、はじめて咲いているのを見たでしょうか。 いつもは2月の声を聞くころに、咲くような気がするのですが、ずいぶんと早い開花のようです。

睦月、祈りの熱田神宮。

ただ、祈らずにはいられない、2024年の年明け。熱田神宮に、参拝をしてまいりました。

2024年に、希望を乗せて。

新年あけまして、おめでとうございます。あなたさまの2024年が、希望に満ちたものでありますよう、お祈り申しあげます。今年もどうぞ、よろしくお願い申しあげます。

2023年に、感謝を寄せて。

今年も1年間、ありがとうございました。あなたさまの2023年に、深く感謝を。そして、あなたさまの2024年に、大きな祝福を。

あなたの今日もまた、サンタクロースの袋の中身をつくっているから。

時が流れ、季節がめぐり。プレゼントをする人は、現れては消えていくでしょう。けれども、サンタクロースの白いプレゼントが詰まったあの袋の中身をつくる人が、そこにいつもいるように思うのです。

山茶花の咲くころ、野山の生きものたちが眠りにつく姿を想うころ。

野山の生きものたちは、眠りについたのだろうかと想い。そして、過ぎゆく年と、未だ来ぬ年を、想い。師走の一日は、過ぎてゆくようです。

なんにもしないをしに行く、師走の熱田さん。

早いもので、2023年も最後の月になりました。お師匠も走るという、師走。そんな12月に、また熱田さんを参拝することができました。

光、風、色。深く呼吸するために、必要なものたち。

頭上から注がれる、陽の光。この頬に感じる、秋の風。そして、植物の色たち。そうしたものを眺め、感じていると、それだけで満たされていくものがあります。人には、必要なのでしょうね。光と、風と、色が。

いつか、どこかで、この言葉たちが、あなたの心をあたためることができたなら。

ただ、ご感想で「筆を止めないでください」と励ましをいただきました。ありがたい限りです。これからも、書き続けていきたいと思います。

霜月、いつものように熱田さんで祈りを。

今年もあと2か月になりましたが、そんな霜月に、また熱田神宮を参拝して参りました。

秋陽に満ちた淀で、記憶と情感にふける日。

リニューアルした京都競馬場を訪れました。以前に訪れたときの記憶と情感にふけりながら、癒されてきました。