大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

エッセイ

時には、昔の話を。 ~図鑑「ペンギンのくに」にまつわること

写真がたくさん載った科学図鑑が、私の実家にはありました。図鑑、といっても、そんなに分厚くなくて、小学校の低学年でも読めるくらいの本でした。その中でも、特に心惹かれたのが、「ペンギンのくに」という図鑑でした。

辛いとき、しんどいとき、いつも言葉を探していました。

いまの自分を包み込み、癒し、鼓舞することのできる言葉。これからの自分の道を照らす、灯りのような言葉。そうした言葉を、私はいつも探していました。

自分を大切にしたいとき、小さな存在に目を向け、慈しむことはとても重要。

「心を豊かにするには、草花の名前を覚えるといい」昨日の記事で書いた言葉について、もう少し考えてみたいと思います。

心を豊かにするには、草花の名前を覚えるといい。

「心を豊かにするには、草花の名前を覚えるといい」以前に聞いた、そんな言葉を思い出します。歳を重ねるほどに、その言葉が真実であることがわかります。

時には、昔の話を。 ~ゴジラの映画と、父の記憶と

映画館で観る映画は、ある種の特別な体験のように思います。 大きなスクリーンで映像作品を観るというのは、他にはない情感を与えてくれます。 受動的であり、パーソナルな体験であり、どこまでも一人で楽しむものではあるのですが。 それでも、誰かと一緒に…

時には、昔の話を。 ~コーラアップの思い出

ふと、書きものをしている手をとめて。コーラアップを一つ口に含んで、その固めの食感を楽しんでいると。セピア色の記憶を、思い出させてくれます。

いつかの厨房のおはなし。

夢、というのは不思議なもので。まったく奇想天外な夢を見ることもあれば、過去の思い出のような夢を見ることがあります。

時には、昔の話を。 ~夕暮れ時の社会科研究室の思い出

冬の夕暮れは家路を急がせますが、春のそれはどこかあたたかで、観る人をぼんやりとさせるようです。その色の移ろいは、私の高校時代のことを想起させてくれるようです。

時には、昔の話を。 ~祖父とキャッチボールの思い出

いまは亡き、そんな祖父とのキャッチボールを、思い出していました。それはどこか、あのボールを捕っていれば、というほろ苦い申し訳なさとともに、思い出されるのです。

桜の開花時期と、心の情景のめぐりについて

花は誇らず、ただ咲くのみなのですから。そして、私自身も、そのように在りたいと願うのです。

故郷の桜の色に、思い出を重ねること。

いつもこの時期に行く、墓参り。なんだかこの日は、いつもと違う道を通って行きたいと思ったのです。

意志の力と、偶然とは、同じことの裏返しかもしれない。

自分の意志の力を信じること。自分に与えられた川の流れを信じること。それは、どこか同じことのように、最近はつとに感じるのです。

時には、昔の話を。 ~黄色い蝶の思い出

祖母の家の庭では、春になると黄色い蝶々が舞っていました。やわらかな春の日差しのなか、ひらひらと舞うその蝶々の色を、よく覚えています。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼5 ~大綱の戻った花の窟神社

花の窟神社は、伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵とされる。季節の花を供え飾ってイザナミノミコトを祀ったことから、花窟という社号が付けられたと考えられているそうだ。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼4 ~熊野速玉神社と梛の木

熊野三山のひとつ、熊野速玉神社を訪れる。もとは、先に訪れた神倉神社に熊野権現が祀られていたのが、この場所に遷されたとのこと。

桃の節句の熱田さんは、花が盛りなり。

今日は3月3日、桃の節句。もう啓蟄も近くなってきました。そんな日に、熱田神宮を訪れることができました。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼3 ~神倉神社から熊野灘を望む

熊野権現が、熊野三山として祀られる前に、一番最初に降臨されたのが、この神倉山の地とされる。熊野速玉神社の摂社でありながら、熊野信仰のルーツとされる神社。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼2 ~大斎原・湯の峰温泉公衆浴場

熊野本宮大社に参拝したあとは、旧社地である大斎原へ。のどかな田んぼの道の先に見えるは、大斎原の大鳥居。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼1 ~七里御浜・熊野本宮大社

初めて熊野を訪れたのは、人生の転換期だったように思う。いろんな怖れがあったが、熊野の風はやさしく私を迎えてくれた。以来、熊野を訪れることは、私のライフワークのようなものかもしれない。

時には、昔の話を。 ~傘についての思い出。

静かに降る、あたたかさを含んだ雨を見ていると、傘についての思い出にふけってしまうようです。

脱稿の脱力感。

先般からお騒がせしておりました、2月にご依頼いただいた文章を、ようやく書き終え、納品しました。温かい応援いただきまして、ありがとうございました。

時には、昔の話を。 ~静かな土曜日の思い出

学校も企業も、週休二日制が一般的になったのは、いつごろだったのか。そんなことを、考えることがあります。私が小学生のころは、まだ土曜日も午前中だけ学校があったことを覚えています。

我王と茜丸のはざまで。

手塚先生のライフワークともいえる、「火の鳥」。初めて読んだのは、小学生のころだったでしょうか。その中でも「鳳凰編」は、私が強く影響を受けた作品の一つでした。

時には、昔の話を。 ~故郷の川面の輝き

感情と結びついた記憶は、忘れないと聞きます。とても嬉しいことがあったとき、とても悲しいことがあったとき。そのときの風景や天気、あるいは風の色や聞いていた音などを、よく覚えているのは、そのためといわれます。

時には、昔の話を。 ~キャッチボールと嫉妬と

息子とキャッチボールをしていると、嫉妬を感じたりもします。「自分は、全然父親とキャッチボールしてもらってない。それなのに、こいつはズルい」自分のなかの5歳児が、あばれるわけです。

赤い実ひとつ、冬の名残のように。

暖かな春は、少しずつ近づいているようです。いつもの道の樹木にも、小さな赤い実がなっているのを見つけました。

書くことの、苦悩について。

今月は、どうもそういう月のめぐりのようで、ご依頼をいただいた文章の締切が月末に重なっていました。

時には、昔の話を。 ~静かな銀杏並木の思い出

銀杏並木が目に留まるのは、やはり秋の紅葉シーズンでしょうか。けれども、この季節の銀杏もまた、いいものです。私が通っていた大学のキャンパスにも、銀杏並木がありました。

時には、昔の話を。 ~虹色の、霜柱。

そんな空き地の、冬の愉しみの一つが、霜柱でした。ことらさに寒い冬の朝、土の地面にいくつもの櫛のような氷の柱が立っている。それを、踏むと、ざく、ざく、と心地よい音がしました。

時には、昔の話を。 ~働くことと、父性と。

私が社会人になって、働き始めたとき。ある社会人の先輩と、お酒の席で話していたことを思い出します。働くって、どんなことなんだろう。なんのために、働くのだろう。