エッセイ
私がカウンセラーとして師事しております、根本裕幸師匠の新著「忙しすぎて辞める人。暇すぎて病める人。」(主婦の友社、以下「本書」と記します)の書評を。
時候は、一年で最も暑いとされる「大暑」。七十二候では、「大雨時行(たいうときどきふる)」。そんな葉月のはじまり、熱田神宮を訪れることができました。
文月ついたち、熱田神宮を訪れることができました。今日も、お世話になりました。今月も、よろしくお願いいたします。おふたりにご挨拶して、文月がはじまったようです。
入梅の少し前に、熱田神宮を訪れることができました。もうすぐ、陽の極み、夏至。その前の熱田さんは、やはりどこか輪郭がぼやけて、やさしく迎えてくださいました。
旅の終わりに訪れる地は、最初に決めていた。三重県熊野市、花の窟神社。日本書紀においてイザナミノミコトの御葬所として記されている、日本最古の神社。
再出発と巡礼の熊野路は、熊野速玉大社と阿須賀神社へ。人が祈りをささげるのは、どんなときなのだろう。角倉神社の巨岩を思い出しながら、社をめぐる。
熊野路は、新宮市の神倉神社へ。熊野三山が祀る熊野権現が、最初に降臨した地と聞く、古社。息を切らせて石段を登った先に、熊野灘を望む絶景。
熊野は、私にとって定期的に訪れたくなる地の一つだ。2022年5月。風薫る、新緑の季節。また、その熊野を訪れることができた。
5月、新緑、薫風の季節。その立夏を過ぎたころ、熱田神宮を訪れることができました。
私がカウンセラーとして師事しております、根本裕幸師匠の新著「つい他人と比べてしまうあなたが嫉妬心とうまく付き合う本」(学研プラス、以下「本書」と記します)の書評を。
2022年3月29日火曜日、16時過ぎ。改札を出て左に進むと、バンテリンドームナゴヤへの地下通路が広がる。その通路の中に浮かび上がる、ドラゴンズ・ロード。
3月3日、桃の節句。 そのよき日に、熱田神宮を訪れることができました。 節気は、「雨水」も終わりに近づき、もうすぐ「啓蟄」のころ。 少しずつ、少しずつ、春の気配が感じられるようになってきました。 七十二候では、「草木萌動/そうもくめばえいずる…
私がカウンセラーとして師事しております、根本裕幸師匠の新著「いい人すぎていつも損してる自分の守り方」(青春出版社)の書評を。「いい人過ぎる」傾向のある方が、自分らしく生きられるように、という願いを込められた本です。
早いもので、もう2月になりました。 大寒も終わりのころになり、風にわずかばかりのあたたかさの気配を感じます。 そんな如月ついたち、熱田神宮を訪れました。 駐車場を降りると、やわらかな陽光が目を引きます。 気付けばずいぶんと、日が昇るのが早くな…
今週は、たくさんお馬さんの原稿を書きましたので、少しクールダウンを。いつものランニングコースを逸れて、近所の公園であまり通らない道を。
新年明けての、熱田神宮を訪れました。名物の「初えびす」も終わって、少し落ち着いているかな、と思いながら。しかしまだお正月仕様で、屋台などもまたたくさん出ていて、駐車場を探したりと、慌てたりしました。
先日、友人とお話ししている中で、お酒を飲んだ翌日の罪悪感というお話になりました。私もひどく飲み過ぎた翌日は、ものすごい罪悪感に苛まれていたことを、懐かしく思い出しました。
2022年の今年は、はじまり、芽吹き、スタートといった風を受けて、昨年蒔いた種を、ゆっくりでいいので大切に育てていく時間にしていきたいと思います。あらためまして、本年もご指導、応援のほどを、どうぞよろしくお願いいたします。
いろんなことがあった2021年でしたが、それを振り返りながら、どの一日も慈しみながら、手帳の移植作業を進めております。今年も最後までお読みくださり、ありがとうございました。また来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
私がカウンセラーとして師事しております、根本裕幸師匠の新著「今日こそ自分を甘やかす」(大和書房、以下「本書」と記す)の書評を。
自分が当たり前だと思っていることは、他人にとっては当たり前ではないように。すばらしいサービスも、それを告知して知っていただかなければ、存在しないものと同じになってしまいます。あらためて、告知を続けることの大切さを教えていただいた次第です。
本当に出会うクライアント様みなさま、みなさまに、育てて頂いております。あらためまして、深く御礼申しあげます。
冬桜、そして天使のトランペット。冬に咲く淡い色もまた、美しいものです。
断酒して1133日が経過しました。おおよそ、3年と1カ月ちょっと。ここ数年、時間の流れが速いのか、遅いのかよく分からないことが多いのですが、3年と聞くと、なおさらよく分からなくなります。
力の入れ方ひとつで、まったく違った世界が見える。あらためて、人の身体のおもしろさに惹かれるとともに、それは人の身体に限った話ではないようにも感じました。
師走のはじめ、熱田神宮を訪れました。木々の向こうに見える陽の光は、円環を描いていました。その日を浴びながら、おおきく息を吸って、そして吐いて。心地よい、熱田さんの時間でした。
晩秋から、冬へ。 熱と音が消えるように、静かに息をひそめるように、そんな静けさを感じる季節でもあります。 そんな晩秋の今朝、見上げた空に、小さな彩雲を見かけました。
先月に引き続き、一宮市は尾張猿田彦神社を訪れました。 境内には、この季節にはめずらしい桜の花が咲いていました。
なんだかんだと言いながら続けている、ストレッチ。 一日の終わりに、深く呼吸をしながら思考を緩めることのできる、貴重な時間となっています。
何かの音で、目が覚めた。虚ろな思考が、雨の音だと気づくのに、しばらく時間がかかった。 暗がりの中で、再び眠りに落ちようと試みたが、なかなか寝付くことはできなかった。身体は眠りを欲しているような気もしたが、思考は雨の音に興味を示してしまったよ…