大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

エッセイ

満ちれば、咲く。

何も言わずとも、時が満ちれば、花は咲く。連綿と繰り返されてきた、その奇跡。私たちもまた、同じなのかもしれません。

痛みは、意識を「いま、ここ」に向けさせるから。

身体の「痛み」が、「いま、ここに注意を向けなさい」という肉体からのサインであるならば。心の「痛み」もまた、同じなのかもしれません。

長月の熱田さんで、秋色の空を見上げること。

時の流れに区切りがあるわけではないと思うのですが、それでも月が変わると感じるものが変わるようです。早いもので、もう9月になりましたが、熱田神宮を訪れることができました。

秋の訪れのなか、歩くことで思考を緩めること。

まだまだ日中は暑い日が続きますが、それでも朝晩はその暑さが緩むのを感じる時間が増えました。早いもので、気づけば時候も「暑さも止む」という「処暑」になりました。

「手段」ではなく、「目的」として歩くことについて。

この暑い夏の最中に、ウォーキングを始めてみたのですが、これがいろいろと楽しいので、今日はそんな肩肘張らないお話です。

無音の色をした空の下で、手を合わせること。

立秋を過ぎると、すぐにお盆がやってくる。立秋を過ぎた空は、夏の喧騒が徐々に遠ざかるように、静かだ。

葉月の熱田さんで、盛りと終わりを想うこと。

それにしても、暑い日が続く8月、葉月。時候は「大暑」、一年で最も暑い時期とされるのですから、それも当たり前なのかもしれません。そんな8月の始めに、熱田神宮を訪れることができました。

自分にできないことは、誰かに感謝するチャンス。

自分にできないことは、誰かに感謝するチャンスです。ノートパソコンにコーヒーをこぼしてしまった、私の失敗談から。

夕暮れ時の埋葬。

夕暮れ時、そのメダカを埋葬しに、近所の公園へと歩きました。「どうして、死んじゃうんだろうな」そう呟きながら、息子はオレンジ色に染まりかけの道を歩いていました。

文月の熱田さん、どこかで見た夏の日差し。

夏至も過ぎ、小暑も近づくころ。そんな文月のはじめ、熱田神宮を参拝することができました。

生成系AIによって言葉がデフレを起こす時代に、何を書くべきか。

誰もが簡単に長文を書けるようになり、言葉の価値がデフレを起こすとき。人は、自らの「書くこと」に、どんな価値を見出すのかが問われるようになると思うのです。

何かをなくすという痛みと、娘という存在と。

父親にとっての娘という存在は、何に差し置いても、違うものです。他のどのような関係性でもなく、特別なもののように感じるのです。

きっと、人は誰かを応援したいのだ。

不確実さも、野球やスポーツエンタメの持つ魅力の一つであるのだろう。けれどもそれ以上に、やはり私たちは誰かを応援したいのだろう。

カウンセリングを受けたあと、一人で車の運転をしていると「ええ感じ」になるのはなぜなのか。

カウンセリングを受けたあと、一人で車の運転をしていると、ゆるんで「ええ感じ」になることが多いようです。なぜなんでしょうね。

さいごの校正をしながら、想うこと。

校正しているこの文章が、あなたにお届けできる瞬間を想像しながら、もっといい表現はないだろうかと考える、この時間が好きなのです。お届けできることを、心から楽しみにしております。

遠きあのナゴヤは燃えているか。

あの遠きナゴヤ球場は、燃えているのだろうか。サヨナラ勝ちが、童心を思い出させてくれた。また、応援に行こう。小さな私を、笑顔にしに行こう。

水無月ついたち、熱田さんを歩く。

早いもので、もう5月は過ぎ行き、6月に入りました。東海地方も、例年よりも早く梅雨入りしたようで、雲と傘のマークが週間予報を埋めています。そんな水無月ついたち、熱田神宮を参拝することができました。

「ゴールドシップ伝説 愛さずにいられない反逆児」のご好評を横目に、次の次の書籍の校正を。

昨日発売となりました「ゴールドシップ伝説 愛さずにいられない反逆児」のご好評を横目に、次の次の書籍の校正を進めております。

次の書籍の校正を進めております。

先日、私が執筆に参加した書籍「ゴールドシップ伝説 愛さずにはいられない反逆児」のご案内をさせていただきましたが、息をつく暇もなく、次の書籍の校正がやってきました。

こころのライトスタンド。 ~小さい頃にハマったものは、なんですか?

自分の「ライフワーク」を探すときに、ヒントになるのが「10歳くらいまでにハマっていたもの」という考え方があります。それを思い出していくと、不思議とその要素を持つものをキャッチできるようになるものです。

皐月の熱田さんは、初夏のきらめきのなかに。

皐月もなかば、あるいは立夏のころ。熱田神宮を、訪れることができました。七十二候では「蚯蚓出(みみずいずる)」、土のなかからミミズが出てくる時期とされます。

時には、昔の話を。 ~いつかのアール・ヌーヴォーの輝き

自分が何歳だったのか、どうにも曖昧な記憶があります。子どもの頃ではなく、もうずいぶんと大きくなった頃だとは思うのです。豊橋市の美術館で、アール・ヌーヴォーのガラス作品の特別展が開催されるので、そこに出かけたのです。

執筆した文章の校正を進めております。

先般ここでお伝えしました執筆作品ですが、ようやくゲラがあがってきました。そのゲラをもとに、校正を進めております。

明日への希望。

あそこで打てていたらなぁ。息子と、そんなタラレバを話しながら、帰路につく。来た時の雨は、まだ降り続いているようだった。

時には、昔の話を。 ~薫る風のなか、訪れた公園の思い出

桜の散り際になると、風の色が変わります。徐々に移ろいゆくというよりも、ある時ふっと、変わっているという趣があります。そんな4月の心地よい風の色は、どこか私に古い記憶を思い起こさせます。

脱稿。脱力感と、満足感と。

先日からお話しておりました、ご依頼の原稿をようやく入稿することができました。

時には、昔の話を。 ~普通電車の景色の思い出

本を読むのにも飽きると、流れる景色をぼんやりと眺めてみたりするのが、好きでした。徐々に日が暮れていくと、東海道線の景色はオレンジ色に染まって。ほどなくすると、灯りがぽつぽつと見える、夜景に変わっていきました。

卯月の熱田さん、水のある風景。

4月、清明のころ。熱田神宮を参拝することができました。春らしく、ころころと変わる天気のようで、この日は朝からぽつりぽつりと雨粒が落ちる日でした。

締め切りの持つ魔力について。

締め切りとは、なにかをつくるとき、なにかを形にするときには万能の魔法のように感じます。それは、私たちの生と似たようなものかもしれません。

時には、昔の話を。 ~白い壁のなかの夏休みの記憶

あれは、中学校3年生になったころだったでしょうか。 よく雨の降る、梅雨時だったように思います。 当時、サッカー部に入っていたのですが、まったく走れなくなりました。 走れることは走れるのですが、息がすぐに上がってしまうのです。 風邪を引いている…