エッセイ
写真がたくさん載った科学図鑑が、私の実家にはありました。図鑑、といっても、そんなに分厚くなくて、小学校の低学年でも読めるくらいの本でした。その中でも、特に心惹かれたのが、「ペンギンのくに」という図鑑でした。
いまの自分を包み込み、癒し、鼓舞することのできる言葉。これからの自分の道を照らす、灯りのような言葉。そうした言葉を、私はいつも探していました。
「心を豊かにするには、草花の名前を覚えるといい」昨日の記事で書いた言葉について、もう少し考えてみたいと思います。
「心を豊かにするには、草花の名前を覚えるといい」以前に聞いた、そんな言葉を思い出します。歳を重ねるほどに、その言葉が真実であることがわかります。
映画館で観る映画は、ある種の特別な体験のように思います。 大きなスクリーンで映像作品を観るというのは、他にはない情感を与えてくれます。 受動的であり、パーソナルな体験であり、どこまでも一人で楽しむものではあるのですが。 それでも、誰かと一緒に…
ふと、書きものをしている手をとめて。コーラアップを一つ口に含んで、その固めの食感を楽しんでいると。セピア色の記憶を、思い出させてくれます。
夢、というのは不思議なもので。まったく奇想天外な夢を見ることもあれば、過去の思い出のような夢を見ることがあります。
冬の夕暮れは家路を急がせますが、春のそれはどこかあたたかで、観る人をぼんやりとさせるようです。その色の移ろいは、私の高校時代のことを想起させてくれるようです。
いまは亡き、そんな祖父とのキャッチボールを、思い出していました。それはどこか、あのボールを捕っていれば、というほろ苦い申し訳なさとともに、思い出されるのです。
花は誇らず、ただ咲くのみなのですから。そして、私自身も、そのように在りたいと願うのです。
いつもこの時期に行く、墓参り。なんだかこの日は、いつもと違う道を通って行きたいと思ったのです。
自分の意志の力を信じること。自分に与えられた川の流れを信じること。それは、どこか同じことのように、最近はつとに感じるのです。
祖母の家の庭では、春になると黄色い蝶々が舞っていました。やわらかな春の日差しのなか、ひらひらと舞うその蝶々の色を、よく覚えています。
花の窟神社は、伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵とされる。季節の花を供え飾ってイザナミノミコトを祀ったことから、花窟という社号が付けられたと考えられているそうだ。
熊野三山のひとつ、熊野速玉神社を訪れる。もとは、先に訪れた神倉神社に熊野権現が祀られていたのが、この場所に遷されたとのこと。
今日は3月3日、桃の節句。もう啓蟄も近くなってきました。そんな日に、熱田神宮を訪れることができました。
熊野権現が、熊野三山として祀られる前に、一番最初に降臨されたのが、この神倉山の地とされる。熊野速玉神社の摂社でありながら、熊野信仰のルーツとされる神社。
熊野本宮大社に参拝したあとは、旧社地である大斎原へ。のどかな田んぼの道の先に見えるは、大斎原の大鳥居。
初めて熊野を訪れたのは、人生の転換期だったように思う。いろんな怖れがあったが、熊野の風はやさしく私を迎えてくれた。以来、熊野を訪れることは、私のライフワークのようなものかもしれない。
静かに降る、あたたかさを含んだ雨を見ていると、傘についての思い出にふけってしまうようです。
先般からお騒がせしておりました、2月にご依頼いただいた文章を、ようやく書き終え、納品しました。温かい応援いただきまして、ありがとうございました。
学校も企業も、週休二日制が一般的になったのは、いつごろだったのか。そんなことを、考えることがあります。私が小学生のころは、まだ土曜日も午前中だけ学校があったことを覚えています。
手塚先生のライフワークともいえる、「火の鳥」。初めて読んだのは、小学生のころだったでしょうか。その中でも「鳳凰編」は、私が強く影響を受けた作品の一つでした。
感情と結びついた記憶は、忘れないと聞きます。とても嬉しいことがあったとき、とても悲しいことがあったとき。そのときの風景や天気、あるいは風の色や聞いていた音などを、よく覚えているのは、そのためといわれます。
息子とキャッチボールをしていると、嫉妬を感じたりもします。「自分は、全然父親とキャッチボールしてもらってない。それなのに、こいつはズルい」自分のなかの5歳児が、あばれるわけです。
暖かな春は、少しずつ近づいているようです。いつもの道の樹木にも、小さな赤い実がなっているのを見つけました。
今月は、どうもそういう月のめぐりのようで、ご依頼をいただいた文章の締切が月末に重なっていました。
銀杏並木が目に留まるのは、やはり秋の紅葉シーズンでしょうか。けれども、この季節の銀杏もまた、いいものです。私が通っていた大学のキャンパスにも、銀杏並木がありました。
そんな空き地の、冬の愉しみの一つが、霜柱でした。ことらさに寒い冬の朝、土の地面にいくつもの櫛のような氷の柱が立っている。それを、踏むと、ざく、ざく、と心地よい音がしました。
私が社会人になって、働き始めたとき。ある社会人の先輩と、お酒の席で話していたことを思い出します。働くって、どんなことなんだろう。なんのために、働くのだろう。